●いまの問題と併走し、人々の幸せを最大化する学問
―― サステイナビリティ学とは何か、実生活にどう役立つものなのか。学問としての捉え方と実社会での生かし方、今後の方向性について
住 サステイナビリティ学の捉え方で現在一番大きいのは、これからの社会をどういうふうにつくっていくか、そのために進む学問だということです。例えばいま、目の前にはいろいろな問題がありますが、どうも互いに相当絡んでいるようです。お互いに絡んでいるから、一つの問題を解くために、全ての問題を考えなければならなくなっている。そういうあらゆることを、全体的に考えようとする学問です。
従来の学問、特に理学系では、あるものを解明すればその利用はおのずと開かれると思ってきましたが、実は必ずしもそうではありませんでした。これからは、どういう行動を取るかも同時に考えなくてはならない。そういうトータルな学問だと思います。
サステイナビリティ学では、とりわけ社会生活に配慮します。人間は常に社会に住んでいますから、人の気持ちなどを非常に重視するわけです。現在の一番の目標は「ハピネス」や「ウェルビーイング」だといわれますが、そのように人々の幸せ度を最大化し、そのための方法を考える学問であると捉えていただくといいと思います。
●カネとモノでは幸せを最大化できなくなった世界
住 昔は貧乏でしたから、人々の幸せを最大にする方法は金儲けでした。お金さえ儲かれば全ての人は幸せになれる。そういう仮定が、第一次近代では成り立ちました。
戦後、焼け出されてほとんど何もない状態から考えれば、まずお金でした。金さえあればいろいろなモノが買える。家も買える。モノが豊かになりさえすれば、人の幸せは全部付いてくるだろうという時代だったのです。
しかし、いまはそういう時代ではありません。モノは余っているし、モノの全てが人を豊かにはしない状況になってきたわけです。そうした中でどうすればいいかというのは、別の問題です。それを考えていくのがサステイナビリティ学という学問です。
逆に言うと、人間は「いまでも発展途上」だろうということです。ただし、人間は全てのことを考えることができるのかという容量上の問題もあるので、それも今後の問題になってくると思います。
いまの一つの方向は、ネット社会をどう捉えるかという問題と同様、いろいろな情報がオープンになっていることです。サイエンスの世界でも、オープンデータとかオープンサイエンスなどといわれるように、一部の人だけが頑張って研究をして、残りの多くはただそれを待っているだけという社会ではありません。
いろんな人が、多種多様なことをできる。また、それらの人々がさまざまな能力やアイディアを持っている。それらを総合しながら新しい世界をつくっていこうという時代だろうといわれているわけです。
●人間の不可解さと情報過多がもたらす問題
住 ただ、そういう中でどのようにすれば皆が幸せになれる意思決定ができるのかというと、これがまた大問題です。特に、現在中東で起こっているムスリム間の対立を見ると、先はなかなか暗い。一体これはどういうことなのか。宗教対立なども含め、人間は非常に不可解なものでもあるので、何をどうしたらいいのか、さまざまな問題があります。
ただ、カギはあります。調べてみると、いろいろな宗教があったために必ず戦争に結び付いたかというと、そうでもなくて、結構仲良くやってきた時代もあるわけです。そういう事例を調べていけば、そんなに強引に進めるばかりでもなさそうだというのが、私の考えているところです。
難しい問題があり、あまり情報過多でもいけません。昔は、何も知らないからかえって幸せだったという説もあるわけです。現在は、グローバリゼーションで情報が常に入ってくる。そうすると、皆が差別感を抱くというか、自分だけが不幸で別の所にいけばとても良い世界があるかのように焦るようになり、それが苛立ちの元になっているのではないかという意見です。また、それはそうではないという見方もあります。例えば現在のIT社会の中でこそ、グローバリゼーションによるさまざまな可能性が開けていくはずだという考え方です。これは、なかなか難しいところなのです。
●変わる時代に伴って「将来への正しいパス」を
住 いずれにせよ、高度情報化社会の中、いまの流れが既に昔とは違うレジーム(体制)に入ってきているのは確かです。これをこのままでいくかというところに、また難しい問題があります。もしかすると、また20世紀型の、モノがなくなる時代に移行するかもしれない。いや、それはない。そもそもいまでさえモノは余っているのだ、とかですね。特に食料などの場合、いろいろ足りないと言っているのは分配が...