●五島列島沖合の海没処分潜水艦群の調査
今回は、ここ1年間、私たちが非常に力を入れてきた、五島列島沖合の海没処分潜水艦群の調査と、その海中技術をご紹介したいと思います。その内容は、テレビや新聞で取り上げられてきたのでご存じかと思います。
この写真は、サイドスキャンソナーのデータで、2017年5月に、われわれが撮影してきたものです。これは後で分かりますが、伊58のブリッジ(艦橋)部分と、それから一番端のところに舵がありますが、船尾が発見されました。新聞にも大きく取り上げられました。その時はどの潜水艦か分からなかったのですが、8月末に遠隔操縦機(ROV)で詳細に調査し、この艦が伊58であることが分かったのです。
これは私が代表理事をしている、一般社団法人ラ・プロンジェ深海工学会のプロジェクトとして、「伊58呂50特定プロジェクト」というプロジェクト名で、1年前に始めたものです。例えば、伊58の潜水艦は、具体的にはこのようになっていました。潜水艦の全長は110メートルです。そのうち60メートルぐらいのところから、上に立ち上がっています。この下がどうなっているかは分かりません。
それから、プロジェクト名になっている、もう一方の呂50という潜水艦ですが、これは潜水艦のサイドスキャンイメージです。全長が80メートルぐらいの船で、このような形をしていますが、ここにブリッジの部分が映っています。それから、ここに見えているのは高角砲です。このように、全体の形がわりと残っているので、これが呂50であることはすぐに分かりました。
●海に落ちたものは探し出す・引き上げる・水に流さない
私どもが一体このプロジェクトで何を言いたいかというと、海中技術者として、また海に関わる私の根性としては、まず「海に落ちたものを必ず探し出す」ということです。それから、「海に落ちたものを必ず引き上げる」。それから、「決して水に流さない」。日本人は、水に流そう、臭いものにはふたを、ということが得意で、海の中に流れていったものは、もう水に流して忘れてしまおうとするのですが、このような態度はよくないと考えます。
まず、海に落ちたものを必ず探し出すということは、調査・探索技術の高度化という科学技術的な目標があります。それから、拾い上げるということはサルベージ技術です。サルベージというのはあまり聞き慣れない言葉かもしれませんが、海に沈んだものを引き上げるということです。この技術がなければものは引き上げられないのですが、深い海から引き上げることが、いかに大変かということで、技術を向上させます。
それから、海に流されたものは忘れてしまおうということではなく、海でできないことはない、ということです。海のことは何でも技術がカバーしてくれるという考え方で、前に進まなくてはいけないと思っています。こういったことのベースに、海洋国家日本の人間として、「深海は自分たちのものである」という考え方を持ちたいと思っています。
●日本海軍の潜水艦の使い方はかなり誤っていたと言われる
日本海軍の潜水艦の歴史は40年です。明治38年から昭和20年の終戦までです。実戦に参加した期間は、太平洋戦争の3年8カ月です。航空機は支那事変などからすでに活躍しているので、非常に長い戦争での歴史がありますが、潜水艦が戦争に使われたのは、実はたった3年8カ月だったのです。
日本海軍が保有していた潜水艦は241隻です。伊号は、1,000トン以上の1等潜水艦で、119隻ありました。呂号は、500トンから1,000トンまでの2等潜水艦で、これが85隻です。波号は、500トン以下の小型の潜水艦で37隻、日本は持っていました。
このうち、実戦に参加したのは154隻です。その中で127隻が沈没したか、やられてしまっています。この127隻のうち114隻は、乗組員が全員死亡しています。これらの潜水艦は、戦艦や巡洋艦などの水上艦とは違って、撃たれたら水中でそのまま沈没してしまいますから逃げ出せませんので、乗組員はほとんどが全員死亡です。非常に悲惨です。114隻で戦死者数は1万人です。この中には回天の人数は含まれていませんが、このような大きな犠牲を潜水艦で払いました。
一方、アメリカの潜水艦はどうだったかというと、大体、倍ぐらいの317隻を持っていて、そのうち52隻が沈没しています。ですから、保有割合からいえば大体2割弱ですが、日本の場合は8割の潜水艦がやられてしまったということです。
では、このときの戦果について考えてみましょ...