●「共感」や「環境設計」からの動機付け
これが最後の論点になります。(以前に)政治と経済を公共哲学がどのように架橋しているのか、あるいは架橋できるのかというご質問をいただきました。
今回、3つほど挙げますけれど、いろいろと接点がございます。例えばわれわれは、先ほど(第5話で)いった「狭い意味での合理性」だけに動機付けられているわけではないのだ。複数の動機付けを持っているのだ、という話です。
このこと(=複数の動機付けを持っていること)を強調したのは、(ノーベル経済学賞を受賞した)アマルティア・センですけれど、センの議論は、政治哲学にとっても非常に大きいものです。彼は共感(シンパシー)、コミットメントといった動機付けも私たちは持っているのだとしました。自分の効用が下がるとしてもボイコットをするとか、アボカドが好きだけれど、南アフリカで作られたアボカドは食べないとか。これは私が挙げている例ではなくて、センが言っている例です。反功利的な行動も私たちはあえて行ったりするということだったりします。
あるいはアーキテクチャーです。環境の設計を通して、私たちの行動を動かしていく。意識にアピールするのではなくて、実際に物理的な環境――アーキテクチャーといいます――によって人々の行動を方向付けていくということです。「ナッジ」といいますが、「ああせえ、こうせえ」と言うのではなくて、「こっちのほうに行ったほうがいいよ」という形で人々の行動をある方向に促していく。行動経済学と接点があるわけですが、そういうアーキテクチャーの議論とか、さまざまな接点はあります。
●「アドバンテージ」の再生産をいかに公正にするか
(ということで)今回、3つほど(お話しします)。1つはフェアネス、公正という価値は政治においても、経済においても非常に重要な価値です。経済のほうでも公正取引委員会があり、市場が独占・寡占の状態に固定化しないよう、新規参入が可能な仕方でスペースを空けていく。そういう(フェアな)競争が可能になるようなゲームといっていいのでしょうか、競い合いの場にならなければいけない。私たちはそういう制度を持っています。
これは何かというと、政治においても、経済においても、不当なアドバンテージ、不当なディスアドバンテージ、値しない不利、値...