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「威厳がない上司」のもたらす害は「老害」どころじゃない

重職心得箇条~管理職は何をなすべきか(4)重みの要

田口佳史
東洋思想研究家
情報・テキスト
『重職心得箇条』第一条には、「重職」のあるべき姿が説かれる。さまざまなリーダーシップ論が飛び交う現在、組織の要となり、先行きを示してくれるリーダーの姿とは。多くの経営者や政治家を育ててきた東洋思想研究者・田口佳史氏の解説で、幕末の名著に触れてみよう。(全15話中第4話)
時間:10:06
収録日:2015/12/22
追加日:2016/04/25
タグ:
≪全文≫

●非常時に強い「厚重」な人として、威厳を養う


 「先づ挙動言語より厚重にいたし、威厳を養ふべし。」

 これは、才気煥発な人は素晴らしいようだけれども、非常時に必ずしも強いとは言えないという指摘になります。ストライクゾーンが極めて狭く、ピッタリの場所に来てくれないとクリーンヒットの打てない人が多いからです。それに対して、ストライクゾーンが広く、あらゆる状態に応用できるのが、この「厚重な人」です。

 「厚重」とは何が厚く、何が重いのかというと、精神基盤の整備ができていて、何が起ころうと慌てず、沈着冷静を保てることを指しています。「沈着冷静」の反対が、「茫然自失」です。自分を失ったように茫然自失とした人が指示を出すなどというのは、恐ろしくて聞いていられないものです。

 指示は、いかなる場合にも沈着冷静、非常に冷静な視点から出てくる必要がある。これが、「先づ挙動言語より厚重にいたし」です。これを、日常的に訓練しなければいけない。気を落ち着かせる訓練をしてくれ、と言っているわけです。そのことが、次の「威厳を養ふ」ということにつながります。

 「威厳」とは、何でしょうか。訓練をしていなければ、とんでもないことが起きたときには誰でも慌ててしまいます。日頃から「とんでもないことが起こったときは・・・」と繰り返して自分に言い聞かせ、訓練する以外にはないわけです。それを積んで、初めて「とんでもないこと」の担当になれるわけです。


●威厳は克己。休みたい自分に逆らう習慣を


 「威厳を養ふ」の「威厳」とは、自分に対する制御能力であり、別の言葉で言えば「克己」に当たります。私は克己を非常に重視していて、自分の生徒にも「克己を実行してくれ」と繰り返し言っています。非常に重要なことだからです。

 克己とはどのように行うものでしょうか。一つの仕事が終わって、「じゃあ、ビールにするか」というときに、「いや、しない。あと10分続けるよ」と言う。「さあ、もうこの辺で切り上げようか」「いや、切り上げないよ。あと1時間やるよ」と、ことごとく自分に逆らうことです。

 これを1年間ぐらいは続けてもらいたい。そうすると最初の3カ月で、自分が制御できているという自覚ができます。例えば怒りっぽい人だったとする。「さあ、怒ろう」という、カーッとくるときにも、ほんの一寸の間合いがあるものです。その時に、「いや、怒らないよ。自分はもう怒らないんだよ」と言って、自分を静めることができる。これが克己なのです。

 徹底的に自分を制御できるというのは、自分に逆らえる、コントロールできるということです。ここで言う「威厳を養ふ」のくだりは、そういう訓練をするようにと言っているのです。


●大所高所から見る人がいれば、皆が頑張れる


 「重職は君主に代るべき大臣なれば、大臣重ふして百事挙るべく、物を鎮定する所ありて人心をしづむべし。」

 「大臣重ふして百事挙る」というのは、現在の国務大臣の面々を見ていても分かります。いかにも落ち着き払って、しっかりと大所高所からものを見ている。そして、大所高所から見ている人には、小さなことも見えるのです。

 これは、比較的大勢を相手に壇上でお話をされるとよく分かります。壇上からお話をしていると、一人ひとりが実によく見えてきます。全体も見え、一人ひとりも実によく見えるのが、大所高所からものを見るということです。

 そういう意味では、大所高所からものを見ているという落ち着きが、「百事挙る」に通じてくる。「百事挙る」のは、下の人が他の心配をしないで自分の仕事に励んでいられるからです。「いざとなれば、この人が自分の骨は拾ってくれる。この人にお願いすればいいんだ」と思っているから、自分の思い通りのことを縦横無尽にできる状態が、「大臣重ふして百事挙るべく」です。

 後半は、「物を鎮定する所ありて人心をしづむべし」。自分が常に「鎮まれ」という立場であるということを、自分の心に強いなければならない。それで、「人心をしづむ」ことができる。つまり、人心を静めなければいけない人間が、慌てふためいて逃げ道を探すようであっては困る。

 かつて海では、船という限られた空間で何かが起こったとき、船長は船とともに沈むのが常道だとされていました。そのような感覚です。そういう立場を自覚しているからこそ「人心をしづむ」ことができる。それが重要なところです。


●小事にこだわると、大事に手抜かりができる


 「斯の如くにして重職の名に叶ふべし。又小事に区々たれば、大事に手抜(てぬかり)あるもの、瑣末を省く時は、自然と大事抜目あるべからず。」

 「区々」というのは、細かいことばかりにこだわってしまうことです。人のエネルギーは一定の分量しかないわけですから、そればか...
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