●上に立つものはまず公平であること
第6条です。
「公平を失ふては、善き事も行はれず。凡そ物事の内に入りては、大体の中すみ見へず。姑く引き除けて、活眼にて惣体之体面を視て中を取るべし。」
「公平を失ふては」というのは、非常に重要なことです。組織の長としては、何としても公平無比というのがもう非常に重要です。ですから、これはそれこそ自分のモットー、信条とするというぐらいに、公平無比を貫かないといけません。部下の立場になって考えてもらえば、公平さを失っている上司は、とてもやりにくいということになります。そして、「善き事も行われない」ということになります。下から言えば、「頑張ろう」という気になりませんよね。
●客観的かつ全体を見る
「凡そ物事の内に入りては、大体の中すみ見えず」。これは、例えば、大きな升があるとして、その中へ入ってしまった自分を想定してご覧になると分かると思いますが、升の全体は見えるでしょうか。見えませんよね。要するに、後ろの壁面は見えないし、後ろを見ようと思って移動すると、また次の壁面も見えない。やはり、中へ入ってしまっては全体を見回すということはできないのです。
これは、何を言っているかというと、あまりにも物事の中に入り過ぎてはいけない。客観というものが非常に重要だということです。中へ入れば入るほど、その物事や問題にしてやられる。使われてしまう、盲目になってしまうのです。ですから、いつも冷静さを保って、客観的に見る。客観的に物事を見るということは、つまり、惣体を見る、全体を見るということで、これが非常に重要だということを言っているのです。
●リーダーの見方として必要な「真ん中の心」
「姑く引き除けて、活眼にて惣体之体面を視て中を取るべし」。「まさに姑く引き除けて」というのは、要するにぐーっと引いて客観的になって、しかも、「活眼」。これは何かというと、「活き活きした視点」ということなのですが、これは、本当に物事を活かしてやろうとか、いい方向へ解決してやろうとか、善処する、いい方向へ引っ張っていこうとする活き活きした生命力、そういうものを持って物事は対さなければいけないということを言っています。
そういう視点を持って惣体の体面を視る。惣体、全体を見るのですが、全体をただ見るばかりではない。その全体を見ながら、個々もしっかり見る。両方を見て、そして、「中を取る」。これは、真ん中を取る、つまり、公平ということです。例えば、献策が2、3あったというときに、よく行われるのは、その中身よりも言ってきた当人の評価によって、「これはA君の方がいい」とか、「B君の方がいい」と言ってしまうのですが、これは断じてよくない。やはり中身をよく見ることが重要だということなのです。
その中身の見方も、惣体、全体を見たときに、「ここがいいね」、あるいは「ここは、こういう点でもうちょっと考えたらどうかい」というようなことを、ちゃんと言ってあげる必要があるということです。そういう意味では、中、中庸の心、すなわち真ん中の心を保つというのも、リーダーとしては非常に重要なことなのです。
人間にはいろいろな感情がありますから、怒りの感情がある、それから、喜びの感情もあります。そういう感情が揺れているときは、どうしてもその感情に左右されて、中の心にはなれないわけです。そういうときは、どこか、屋上へ行くとか、トイレへ行くとかして、すっと一人きりになって、感情を静めて中の心を取り戻してから、「さあ、さっきの件だけどね」と言って取りかかる。そのくらいに、沈着冷静さを保つということが非常に重要だということを、ここで言っているのです。さすがに佐藤一斎、いいですね。
●一流のリーダーは常日頃の心配りがある
次が第7条です。
「衆人の厭服(エンプク)する所を心掛くべし。無理押付之事あるべからず。苛察(カサツ)を威厳と認め、又好む所に私するは皆小量之病なり。」
この「衆人の厭服する」の「厭服」というのは、「その通りでございます」と、心の底から承服するということです。そういうところを心がけなければいけないということです。これは、基本的には常日頃が重要でありまして、常日頃の上司と部下の対話、それから、上司から言えば部下の家庭の事情もちゃんと承知しておくということが重要です。そして、そういう相手の性格、その他、今の家庭の環境などを知って、それをちゃんと一つ心がけて、どこか心の隅に置き、それで指示を出すということです。
指示を出すにしろ、ちょっとその前に、「いや、今、君も大変なときなのは分かるけどね」とか、「お母さん大変だろうけどね」など、そういう何か心遣いの一句を添えて指示を出すということが、とても重要なのです。...