●社員に思いを「尽くさせろ」ということ
第二条に入ります。
「大臣の心得は、先づ諸有司の了簡を尽さしめて、是を公平に裁決する所、其の職なるべし。」
「有司」というのは、国家でいえば役人、企業でいえば部下に当たります。その「了簡(りょうけん)」とは何か。了簡にはさまざまな字が当てはめられていますが、「考え」というふうに読めばいいと思います。
ですから、それぞれの部下の考え方や思考力を尽くさしめること。ここでは思考を「させろ」とはいわず「尽くさせろ」と言っています。このことが今日的にも重要なところです。
現代の企業の競争は、独自市場の形成に移っています。もっと言えば、独自価値の提供ができているかどうか、他にない価値を提供しているかどうかです。これらは商品開発やサービス開発に結集されるわけですが、その大根(おおね)は社員それぞれの思いにあります。「何とかこの世にない、もっと斬新な、もっとすごい商品を生み出せないものか」と、社員が四六時中考えている。「尽くせ」と言っているわけですから、そのぐらい思わなければいけません。
●企業経営の根幹をスティーブ・ジョブズにならう
私は『超訳 孫子の兵法』(三笠書房)でもやはり、「現在、知力の限りを尽くせ、それが企業経営の根幹だ」と言っています。企業経営をなめてかかるなと言っているわけですが、その最大のポイントは、この「了簡を尽くせ」にあります。商品が世に出るその日まで、もっと改善できるところはないのか、もっといい商品にならないのかを追求するということです。
スティーブ・ジョブズとは私も交流がありましたが、彼がしょっちゅう言っていた言葉があります。「人は、形にして見せてもらうまで、自分は何が欲しいか分からないものだ」というものです。
だから、顧客に聞いてみても意味がない。プロであれば、「絶対にこれが欲しいはずだ」「欲しかったのは、これですよね」と言って、こちらから出してやるものだということを言っているのです。これこそが、「了簡を尽くさしめて」ということです。こういう精神がまず大事であることが、ここでは存分に強調されています。
そうやって取締役が、自分の部下たちに「了簡を尽くさしめ」ると、いろいろな人が「こう考えました」「ああ考えました」と、どんどん挙げてくる。そのときには、「是を公平に裁決する所、其の職なるべし」でいかなければなりません。
公平に裁決するときに絶対に絡んではいけないのが好き嫌いです。日頃から自分の好きな人間については、どうしても甘くなるし、嫌いな人間には辛くなるというようなことは、あってはいけない。要するに、バックグラウンドをなくし、仕事自体を単独で見て、いいか悪いかを判断することが重要です。「公平に裁決する所」には、部下を扱うコツがあることを教えているのです。
●『貞観政要』が問いかける、創業と継続の難しさ
これについて思い出すのが、『貞観政要』という唐代の書物です。この中で、唐の太宗は、こういうことを質問します。「諸君は、創業が難しいか、継続が難しいか、どっちが難しいと思うかね」と。
側近の房玄齢(ボウゲンレイ)という人は、「それは創業でしょう。創業ぐらい難しいことはありません。何と言ってもこちらも力がないのに、大敵を相手に戦わなければいけない」。だから創業が難しい、と答えます。
また、魏徴(ギチョウ)という新たに部下になった人物は、「いや、それはやはり継続が難しいです。創業というのは力技だから、どこか晴れ晴れとしたところがあって、吹っ切れるものがある。ところが守成すなわち継続には、陰にこもったような部分がたくさんあって、とても晴れやかな心にはなりにくい」。それが継続の難しいゆえんだと言うわけです。
さあ、そこで太宗はどう答えたのか。もしも、「これは魏徴が言うことが正しい」と言えば、長年側近として仕えてきた房玄齢がぷいっと向こうを向いてしまうでしょう。一体どうするのか。皆さまも、こういう時があると思うのです。
●唐の太宗が教える、帝王の公平な裁き方
彼はこう答えたと『貞観政要』は伝えます。
「房玄齢が『創業が難しい』と言うのは、全くもっともなことだよ。彼がそう言うのは、私と一緒に創業の難しいときをずっと力になってくれたからだ。本当にありがたい。あの時を思うと、房玄齢の努力に私は本当に感動するしかない。ありがとう」
と言うので、房玄齢はもううれしくてなりません。
「魏徴は今、私の側近としてまさに継続を担当してくれている。この人は現在の日々の難しさを直に感じているからこそ、継続が難しいと言っているんだね。そういう意味では、毎日ご苦労さまなことだ。ありがとう」
これで、魏徴が喜びますが、太宗の言葉...