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明君と暗君の違いは、「兼聴」と「偏信」

『貞観政要』を読む(4)明君の条件

田口佳史
東洋思想研究家
情報・テキスト
老荘思想研究者・田口佳史氏による『貞観政要』の読解講座第4弾。優れたリーダーは、部下のさまざまな意見を聞き、国や組織の運営に活かしていける柔軟性を持つと『貞観政要』は教える。さらに優れたリーダーは、常に「失敗」の研究も怠らない。かつての敵すら研究の対象にしてしまう徹底した態度が、自らの成功につながるのだ。(全15話中第4話)
時間:11:25
収録日:2016/07/25
追加日:2016/11/21
≪全文≫

●明君と暗君の違い


 それでは、第二章へ参りたいと思います。「貞觀二年、太宗、魏徴に問いて曰く、何をか謂いて明君・暗君と爲す」。暗君、平凡で凡庸な君主と、明君、実に素晴らしい君主は、どうして差が出るのか。その差はどこにあるのだ。太宗が魏徴に聞きます。

 「徴對へて曰く、君の明かなる所以の者は」。明君と言われた人を徹底的に解明していくと、皆、共通して持っている一点がある。「それは何なのだ」と聞くと「兼聽(けんちょう)すればなり」。これは「兼ね聴く」ということです。どういうことかというと「兼ね聴く」ですから、セカンド・オピニオンということです。一人の意見を聞いて、それで満足してしまわず、反対の立場に立つ人にも、「君の意見はどうだ」ときちんと聞くということです。セカンド・オピニオンをどんどん繰り返していくと、いろいろな人に意見を聞くことになる。これが、兼聴の非常に重要なところです。

 反対に「暗き所以」、暗君というものはどこが暗いのかと言えば、「偏信」、偏って信ずるということです。一人の人間の言うことしか信じないのが偏信です。魏徴は、詩経にこういうくだりがあると言います。「先人言へる有り、芻蕘(すうぜい)に詢(と)ふ」。詩経の中にも、トップになったならば芻蕘に問うということが重要だとある。芻蕘とは何かというと、草刈りや木こりのことで、非常に卑しい人の象徴です。身分が非常に低い人のことです。その身分の低い人でも、例えば山の状態は彼らが一番よく知っていますし、草木の状態も一番よく知っています。そういう人にも、きちんと意見を求めることが重要なのです。(身分が低いからといって)馬鹿にしないということです。


●中国古典で繰り返し指摘されてきた「よく聞くこと」の重要性


 論語にも、そういう例がたくさんあります。まず「学びて敏」。学ぶことは敏速にしなさい。「(漢字は)どうやって書いたかな」「あの漢字はどういう風に書いたのか」と疑問に思っても、「そのうち調べましょう」と言っていては駄目です。すぐに辞書を引く。全部疑問を一つ一つ解決して、先へ行けという意味です。似たような意味で、「下問(かぶん)を恥じず」という言葉も、論語にはあります。下の者に聞くのも恥ずかしくない、厭わないということですが、「芻蕘に詢ふ」とは同じ意味です。

 「昔、堯舜の治は」。堯と舜は明君です。「四門を闢(ひら)き、四目を明かにし、四聰(しそう)を達す」。これもいろいろなところに出てくる堯舜の政治の基本です。四門とは、東西南北に開かれた門です。昔の朝廷は、城壁に囲まれていました。そこに四つだけ門があり、それが広く世界と通じた門なのですね。その四門を開くとは、世界情勢など、朝廷の外の状態を常によくキャッチしなければいけないということです。そのために四門をいつも開いて、それで四目を明らかにする。外国の事情に明らかになることを「四目を明か」と言います。

 四聰とは、四目を明らかにすると同時に、外国の人の意見を十分に聞くことです。「あの人は聡明な人ですね」という場合の出典です。「四聡・四目を明らか」、聰というのはよく聞くこと、明というのはよく見ることであり、「聡明」とは「よく聞いて、よく見ること」です。人間は、殊のほか「よく見て」いないし、「よく聞いて」もいません。聡明な人は、人の数倍、よく聞いてよく見ている。それだけで、聡明な人になれるということです。

 「是を以て、聖、照らさざるは無し」。照らさざるとは、注目しないところはないという意味です。全部に注目する。気になるところは、常に正してから先へ行く。そういうことです。「故に共鯀(きょうこん)の徒」、これは堯舜に仕えた人たちですが、「塞ぐを得る能はざりしなり」。彼らは、ふさぐ、トップの耳目をふさいでしまうことはできなかった。ふさいでもトップからどんどん下に下りてきて、それでみんなに聞くわけです。だから、ふさげないということです。

 ここから、「靖言庸回(せいげんようかい)」。平静なときに行ったことが、実際にやらせてみると何もできないということがないと言います。言うことは言うのだが、実際にやらせてみると駄目だということはないということになります。トップが、全部よく知っているからです。「惑はす能はざりし」。部下から惑わされない。明君の基本は、情報が非常に豊かだからこそ、部下に惑わされない。そして「裸の王様」にならないことです。そこが非常に重要です。


●自分が倒した隋からも学ぼうとする徹底した態度


 次に、その例を挙げます。「秦の二世」、秦の始皇帝の2代目は「其の身を隱藏(いんぞう)し」、宮中奥深くに入っていて、なかなか外へ出ようとしなかった人でした。「疎賤(そせん)を捐隔(えんかく)して」、一般大衆と隔たっ...
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