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伯夷と叔斉の兄弟が日本の歴史影響を与えた互譲の精神

『歴史とは何か』を語る(11)司馬遷の歴史叙述と世界観

山内昌之
東京大学名誉教授/歴史学者/明治大学研究・知財戦略機構国際総合研究所特任教授
情報・テキスト
孔子の最も評価した高弟・顔回
「われいずくにか適帰せん。ああ徂かん、命の衰えたるかな」。かの有名な一節で知られる古代中国の逸話を手掛かりに、善人が報われるとは限らない歴史の不条理に対する司馬遷の、そして歴史学者・山内昌之氏の義憤が語られる。「天道、是か非か」。しかし、歴史のリアリティーは人の善悪の価値観で測ることができるのか。司馬遷の歴史世界の深みを探る考察は佳境へ。『歴史とは何か』を語るシリーズ・第11回。
時間:13:17
収録日:2014/12/03
追加日:2015/08/13
タグ:
≪全文≫

●日本の識者を感動させた古代中国の兄弟


 皆さん、こんにちは。引き続き、「天道、是か非か」のトピックであります。

 「天道、是か非か」の議論をする前に、司馬遷には、中国古代史を知っている人であれば誰でも聞いたことがあるか、読んだことのある有名な逸話があります。

 それは、前回申しました、伯夷と叔斉の兄弟にまつわる話です。この二人は、『論語』においても、「旧悪を念(おも)わず。怨(うら)み是(ここ)を用(もっ)て希(まれ)なり」というところで触れられている兄弟です。彼らは清廉であり悪事を憎みましたが、決していつまでも悪事を心にとめませんでした。したがって、人に恨まれることも少なかったと言及された歴史的人物となっています。

 私たちなども心が洗われるすがすがしい話だと思いますが、この二人がなぜ有名になったのかは、実は日本史にも関係してきます。

 兄の伯夷は、実は父が、内心、弟の叔斉を自分の跡継ぎにしたかったことを知り、父が亡くなると、父の遺志を継いで弟に位を譲るため、出奔(しゅっぽん)してしまいます。ところが、弟も、兄を差し置いて父の跡を継ぐことを潔しとしません。そして、同じく隠遁し家を出てしまいます。

 この二人の精神は、いわば、互譲とも言うべきものです。互譲の精神は、日本の歴史においても、多くの感動、多くの影響を与えたものです。

 一番有名なのは、徳川時代、水戸藩の2代目を継いだ徳川光圀のケースです。光圀には、実の兄がいました。頼重という人物です。しかし、父の頼房は、頼重を越えて、光圀を家督相続者、つまり、水戸の大名にしたのです。そして、兄の頼重は、より小さな讃岐、すなわち、今の香川県の高松藩主になりました。このことについて、光圀は生涯心苦しく思いました。

 儒教、儒学は、父に対する「孝」を重んじる思想、信念の体系ですから、父の言うことに逆らうことはできません。光圀は、父・頼房の遺志により、徳川御三家の水戸家を継いだのです。ところが、光圀はこれを生涯心苦しく思い、彼が有名な『大日本史』という大部の書物の編纂に関わった動機も、伯夷と叔斉の逸話と無縁でなかったかもしれないというのが私の見立てです。

 余談になりますが、私たちが高校時代に漢文を勉強したとき、この兄弟が殷の最後の王であった紂王(ちゅうおう)を討とうとした周の武王をいさめる逸話が出ていました。私たちが学んだその漢文は、中国史の大筋を知るのに適した入門書『十八史略』からの転載でしたが、そこには次のようなエピソードが載せられていました。

 「父死して葬らず、ここに干戈(かんか)に及ぶ、孝と謂うべけんや。臣をもって君を弑(しい)す、仁と謂うべけんや」

 死んだ父とは文王のことです。武王の“武”と文王の“文”を比較してみてください。武王は戦に長け、物事を軍事的手段で解決しようとしました。父の文王は、“文”が示すように、平和的な知性で、あくまでも徳をもって人々を安らかに導くことを得意としました。文王が死んだ後に、きちんと葬りもせず戦を起こすのは、孝、すなわち、親孝行とは言えません。また、殷の家臣でありながら、主君である紂王を殺そうとするのは仁とは言えません、と語ったわけです。


●「われいずくにか適帰せん。ああ徂かん、命の衰えたるかな」


 ここからさらに有名な逸話が続きます。

 この清廉潔白な兄弟は、彼らなりに筋を重んじ、周という新しい国家、そして、その君主である武王の下で作られた穀物を食べて延命することを潔しとしませんでした。周の穀物を食べることを拒否した彼らは、山に隠れてわらびを食べて露命をつなぎました。しかし、いかんともしがたく、わらびだけで命をつなぐことはできず、ついに餓死してしまうというシーンがあります。これは『論語』にも表れます。『論語』では二人を、「仁を求めて仁を得たり」「何ぞ怨みん」と書いています。仁、すなわち、正しい道徳を求めて、彼らは正しい道徳をついに得た。いったい誰を怨むことができようか、なぜ彼らは後悔しようかと、形容しているわけです。

 彼らが死ぬ直前に詠んだ詩も、私の子どもの頃には大変印象深く、その悲痛な叫びに打たれるものがありました。すなわち、私たちは、歴史における正義とは何かということを、実はここでおぼろげながら考える機会に恵まれたのかもしれません。彼ら二人はこのように言っています。

 「われいずくにか適帰せん。ああ徂かん、命の衰えたるかな」

 「われらは、いったいこの周という国の支配の下で、どこへ行けばよいのだろうか。ああ、われわれはただ死にゆくのみである。われわれの命運はこれまでなのだ」と語りました。
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