●信念に基づいてやれば、その成否はどっちでもいい
―― 次に第三戒ですが、「図に当たらぬは犬死などといふ事は、上方風の打ち上りたる武道なるべし」。これは、どういう意味でしょう。
執行 意味はこのとおりです。人間は、死んだ結果を考える能力は、誰にもありません。神様以外はわからない。だから、「いい死に方をしようと思ったら、絶対に死ぬことはできない」という意味です。つまり自分の信念に基づいて死ねば、それでいいという言葉と同じ意味です。
死に方に、いい悪いをつけようとするのは「上方風の武士道」であり、佐賀藩の武士道ではない。山本常朝は佐賀藩ですから。上方風は「都会風」のことで、都会風の格好つけた武士道という意味です。
―― 「図に当たらぬは犬死」とは何かを狙って成果が出ればいいけれど、成果が出ないで死んだら犬死に、そう考えること自体が……。
執行 ダメということです。
―― ここで「上方風」と言っていますが、「それは自分たちの道ではない」と。
執行 もちろん、そうです。会社なら、儲けるためにやっているのではない。結果として儲かるかどうか。自分の信念に基づいて、一生懸命やればそれでいい。それで出世する場合もあるし、ダメな場合もある。どっちでもいいということです。
―― 図に当たらなくてもいいと。
執行 「全然いい」ということ。「それでもいい」というマイナス的な言い方ではダメです。
―― 「それがいい」と。
執行 「どっちでもいい」。
―― 「どっちでもいい」ですか。
執行 それを考えること自体がダメなんです。
―― やるだけやって、あとはもう天の……。
執行 運命です。
―― 運命という。
執行 そういうことです。運命が平社員で終わるなら、平社員が運命だから、その運命を遂行したほうがいいのです。これは今の人には、わからないでしょう。
―― 普通にいうと「損な生き方だよね」と言われ方をしてしまいますね、きっと。
執行 だから、「損得」で考えるからです。歴史で言うと、昔の人は、けっこうみんなわかっています。本当に会社に尽くし、自分が体当たりで仕事にぶつかったなら、逆に、平社員でなんで嫌なのか。自分が評価されなかったのなら、それは社長か上役が評価する人間ではなかっただけで、その人間のことは自分には関係ない。
自分にできるのは、自分が体当たりするかどうか。どこかでみんな損得ばかり願っているのです。私は平社員で終わっても、ちっとも嫌ではありません。これは負け惜しみではありません。
―― 「上方風」という言葉は佐賀から見て上方ということでしょうが、「それは俺の生き方じゃない」という格好いい響きですね。
執行 武士道は格好いいに決まっています。
―― そういうことですね。
執行 武士道と騎士道は人類文明が作り上げた美学です。最も格好いい人間の生き方が、武士道であり、騎士道です。リヒトホーフェンを出すまでもなく。リヒトホーフェンだって格好いいでしょう。あれが人類の文明、文化の頂点だと思っています。
―― それを考えたら、「自分自身が自分を格好いいと思えるかどうか」は大事なところです。そういうふうに、いかに生きるか。
執行 生き切らなければダメです。
―― 生き切るということですね。
執行 だから「格好いい」ということは、現世では私もそうですが、死ぬまで来ません。「どう死ぬか」が、最後まで問題ですから。格好いいかどうかは、私自身の人生で言えば、多分死んでからあとの人間が勝手に口端で言うだけです。そんなことはどうでもいいことです。
―― 自分としては貫くだけだと。
執行 「俺は貫くだけ」ということです。
●毎朝毎夕、自分の「憧れ」を確認する
―― 次に第四戒ですが、「毎朝毎夕、改めては死に改めては死ぬ」。
執行 これは、「死は毎日念じない限り、何の意味もない」ということです。たまに思ってもダメです。第五戒の「忍ぶ恋」の項目でも取り上げますが、自分の人生の「憧れ」というものを、毎朝毎夕、自分に思い知らせなければなりません。「憧れ」とは私の言葉だと自分の宇宙的使命に向かう気持ちです。毎朝毎夕、自分の憧れを確認するということは、死ぬという意味なのです。
やってみたらわかります。自分が永遠とつながる。永遠の命とつながるのが憧れです。
現世のものは、憧れになりませんから。現世のものは、どんな夢も全部、欲望です。「出世したい」「金メダルを取りたい」、全部欲望です。
私の言う憧れは、生き方ですから。宗教でも言いますが、生き方とは自分の生きた人生が、死んで永遠とつながることに価値があります。それを毎日思う。それがこれに書いてあります。
―― これは第一戒とも非常につながりますね。「死ぬ事と見附けたり」とは、毎日向...