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「死は何か」に毎日対面していないと、いい人生は送れない

私の「葉隠十戒」(1)武士道といふは死ぬ事と見附けたり

執行草舟
実業家/著述家/歌人
情報・テキスト
小学校4年生くらいのとき、映画の『十戒』を見て感動し、『葉隠』の中から一番武士道的に響いた10の言葉を選んだ。それが「葉隠十戒」であり、それは70歳を越えた今でも、まったく動いていない。すべてここに収斂していくと言ってもよい。第一戒「武士道といふは、死ぬ事と見附けたり」は、武士道の根源中の根源である。人間は死を思ってこそ、いい人生を送れるし、いい仕事もできる。第二戒は「二つ二つの場にて、早く死ぬほうに片付くばかりなり」。「死ぬほう」つまり「損するほう」を取ると決めていれば、人から与えられた餌に食いつくことなく、信念を貫き、意地を通す生き方ができる。(全4話中第1話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:13:41
収録日:2021/04/08
追加日:2021/10/01
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≪全文≫

●すべてのものはこの十戒のどれかに収斂していく


―― 続いて先生がまとめられた「葉隠十戒」について、ぜひお聞きしたいと思います。

執行 はい。

―― これは先生が『葉隠』の中から、とくに魂に響いた言葉を……。

執行 そうです。小学校1年から『葉隠』が好きで読んでいて、『葉隠』の中で一番武士道的に自分に響いたものを、人生の最後までやる戒律として10個選びました。選んだいきさつとしては選ぶ少し前、小学校4年生ぐらいのときに、チャールトン ・ヘストン主演の映画、キリスト教のモーセの『十戒』を観たのです。それで感動して、「俺も十戒に匹敵するものを自分の人生で作ろう」と思った。私はもう『葉隠』が好きだったから、『葉隠』の中から10の言葉を選んで、これを決めたのです。

 小学校5年のときに決めて、70歳の今日までまったく動いていません。私はもう何万冊と本を読んできましたが、私の知識と思想、すべてのものはこの十戒のどれかに収斂していきます。

 だから結果論としてよかったのは、私はバラバラにいろんなことをしてきたのではなく、『葉隠』を中心に物を考えてきました。おかげで読んだ本は、ほとんど覚えています。

―― それは座標軸があるからということですか。

執行 一つの軸があったからだと思います。これは結果論ですが、良かったと思います。だから、いろんな人から「よく整理して覚えていますね」と言われますが。

―― ある意味、小学校5年生のときに確立した価値観が、ずっと続いてきたからですね。

執行 どんな本や思想でも、この十戒のうちのどれとどういうふうに重なって気に入ったかとか。これと重なっていて、こういう部分が私は好きで、この思想を好きになったとか、すぐに言えるということです。


●死を見つめないと本当の生は見えない


―― それでは、それぞれ内容を教えていただきたいと思います。まず第一で選ばれたのは、「武士道といふは、死ぬ事と見附けたり」。

執行 これは一番有名な言葉ですね。武士道の根源の中の根源です。

―― どのような意味になるのですか。

執行 意味をひと言で言うのは難しいですが、私が好きなのは「生命論」です。(自分の生命を全うするためには)、生きるということは死ぬことが中心なのです。死の世界がなければ、生きることの意味はわからない。

―― はい。

執行 武士道もそうで、山本常朝は武士としての生命燃焼を語っているのです。死ぬことを考えていれば、武士としての生き方は自ずとわかってくる。これが第一戒の意味です。すべて死ぬことを中心に考えなければダメということです。

―― よく多くの人は、自分が死ぬことを忘れて生きていると言われます。

執行 今の物質文明では、死を悪いこととしています。人間の物質の部分は「肉体」です。精神というのは「魂」など見えないもので、どちらが重要かという話です。昔の人は、「魂や心が人間だ」と言いました。それが大切なのだと。これは、人類が誕生してからつい50年ぐらい前まで、そう言われていました。

 ところがグローバリズムという物質文明で経済が発展してきたら、今度は人間を数で数えるようになり、肉体が重要になった。肉体で考えると、死は悪いことになる。だから今は、死を考えさせない文化になってしまったのです。「生きててなんぼ」というのが、今の人間です。

 死んだら、もう価値がない。だから先祖崇拝もない。墓もない。今そんなことに、どんどんなっています。でも人間というのは実は死が中心で、生きるというのは死にくっついている概念だった。これは宗教も全部そうです。

―― 確かに、死ぬことがわからないと、生きることもわからないですね。

執行 もちろんわからない。だからキリスト教仏教も、すべての宗教は死ぬことが中心。いい死を迎えるための生き方として、生き方が問われているだけです。

 だから、死を免れた生き方はないのです。人間は生まれた瞬間から死に向かって生きるのだから、死が何かということと毎日対面していないと、いい人生は送れない。いい仕事もできない。

 武士道で言えば、武士としての務めを全うできないと、山本常朝は言っているのです。

―― 一番有名な言葉だけに、下手をすると、とてもエキセントリックな言葉だと思われがちです。でも逆に言うと「死ぬ事と見附けたり」とは、自分を取り戻すための一番いい言葉でもあるわけですね。自分の人生を見つめるという意味では。

執行 もちろんそうです。「自分の人生と対面しろ」という意味です。「自分の人生と対面しろ」ということは、「死を見つめろ」という意味です。

 今の日本人は、それを忘れさせる文明に生きています。なぜなら忘れさせないと、消費文明は成り立たないからです。消費文明とは国民を全部バカにして、国家に...
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