●憧れは、絶対に手の届かないものでなければいけない
―― 次に第五戒ですが、「恋の至極(しごく)は、忍ぶ恋と見立て申し候」。まさに「忍ぶ恋」の話が出てまいります。
執行 恋とは、もちろん男女の恋もあるし、いろんなものがありますが、大きく言うと「憧れ」です。
憧れとは、絶対に手の届かないもの。遠い憧れでなければダメということです。手の届くものは全部、欲望に変化しますから。欲望に変化するものは、憧れにはなりえない。だから本当の恋にもならない、ということです。必ず手に入らないほど遠いものに憧れる。それを「忍ぶ恋」という言葉で山本常朝は表している。
これは日本だけでなく、騎士道でもあります。西洋の騎士道の叙任式などの儀式では、必ず憧れの女性を誰か1人選びます。これはマリア信仰から出たものですが、レディ、つまり既婚者など、自分とは絶対に結ばれることがない女性を選んで、その女性の許可をもらい、その女性のために命を捨てるということを誓う。それと同じ事です。
これがもし結婚したり、恋愛関係になる可能性がある女性だと、欲望に必ず変化してしまう。欲望は自分の生命を殺すものだから、かえってまずいわけです。
―― 絶対に実現しないものという前提が(大切だということですね)。
執行 実現しない恋。それが本当の恋ということです。実現するものは本当は恋ではなく、恋に名を借りた欲望なのです。だから本当に好きな人と結ばれて、一生幸福になったとしたら、それは欲望です。
本当に、現世で、相手を好きだったとする。そうしたら、結婚しようが何しようが、永遠に本当に相手を好きだと、相手を知りたい、結ばれたいという苦しみになる。相手を手に入れられることは、永遠にないわけです。そういうものが、本物の愛です。本物の愛とは「忍ぶ恋」だということです。結婚をしていても「忍ぶ恋」なのです。
―― それで手に入れたと思ったら間違いだと。
執行 手に入れられるものなら、それは程度がグンと落ちる。現生の物質文明のものであるということ。欲望であるということです。
―― そういう部分で言うと、相手の魂でもあるわけですね。本当に相手の魂と魂が結びつけられるか。
執行 だから結婚して、本当に相手と愛し合う愛を本当に得られるかどうかは、死ぬまでわからないし、死んでもわからない。そのわからないものに挑戦するのが、「愛に挑戦する」ということですから。だから苦悩だけです。
結ばれることはないのだから「忍ぶ恋」です。それ以外は自分の生命にとって、本当に崇高なものをもたらすことはないということです。
―― 確かにそう思っていると、例えば結婚生活も変わってきますね、きっと。
執行 変わるか変わらないかはどうでもよく、そうしなければダメということです。
―― しなければダメだということですね。
執行 苦しむことが愛なのです。なぜ苦しむ必要があるかというと、愛そのものが憧れにならなければダメだからです。だから女房は女房ではダメ。女房は死ぬまで自分の憧れの対象でなければ。自分にとっての(『神曲』に登場する)ベアトリーチェでなければダメなのです。そうなれるかなれないか。
―― 非常に難しいところですが(笑)、非常に大事なところですね。
執行 大事なんてものではありません。この「忍ぶ恋」があるかないかで、自分の信念、武士道を貫徹できるかどうかが決まってきます。
70歳まで生きてきて、この「忍ぶ恋」がすべてのものを理解するうえで最も重要ではないかと最近思います。
―― 満ち足りない心であるし、常に渇望してる心であるし。
執行 そうです。「不滅性に対する渇望」とウナムーノが呼ぶような世界です。これが生命の根源なのです。
●「言ってしまったら嘘になる」という感覚
―― 続いて第六戒ですが、「一生忍んで、思い死にする事こそ恋の本意(ほんい)なれ」。
執行 「忍ぶ恋」とは、口に出したら終わりということです。だから「忍ぶ恋」が何であったかは、永遠に誰にもわからない。わかっているのは本人だけ。そういうものこそが「忍ぶ恋」ということです。
―― 言ってもいけないのですね。
執行 言ってもダメ。相手に伝えてもダメ。
―― まさに忍ぶの忍ぶたるゆえんですね。
執行 言ったら、もう忍んでないから(笑)。
―― 最近の人ですと、「言わなきゃわかんないじゃない」と。
執行 わかってもらう必要がないということです。全然ステージが違う話です。「忍ぶ恋」というのは自分の魂の問題だから、相手は理解しなくてもいいのです。
―― まさに恋の究極が「忍ぶ恋」。その表現形態というか、あり方が忍ぶということ。
執行 そうです。でも昔の日本人の感覚では、けっこうみんなあったのではないでしょうか。親子でも。本...