●明日を思い煩うな、その日に全力を投入せよ
―― 続きまして第九戒ですが、「必死の観念、一日仕切り(しきり)なるべし」。
執行 人生は死に向かって生きるわけだけれど、毎日必ずどこでもいいから、「死ぬ」という観念を持って生きなければ、1日も「本物の日」はないということです。「本物の日」とは、毎日その日で死んだ日ということです。だから死ななかった日は、嘘ということ。
―― 「やりきる」ということですか。
執行 「やりきる」ということ。その日その日、生命を燃やし尽くすということ。それは生命論的に言うと、死んだということ。次の日のことを考えてはならんということです。
―― よく仕事でも勉強でもスポーツの練習もそうですが、本当にやりきるかどうかが大事と言われます。
執行 宗教でも何でもそうです。イエス・キリストが言っているのも、信仰にとって一番重要なのは「明日のことを思い煩うな」ということです。日々自分の生命と対面しろと言っています。それと同じ意味です。
―― まさに今日できる最善をなせと。
執行 最善をなせ。その日に全力を投入せよ、ということです。今日、「必ず死ね」ということです。
―― 言葉は、本当にそういう意味ですね。
執行 武士道特有の言葉遣いです。
●武士道は「真の平等思想」を説いている
―― 最後が、前の講義でも非常に印象的な言葉で、第十戒の「同じ人間が、誰に劣り申すべきや」。
執行 これがなければ、どんな大業もなすことはできません。実は武士道は、真の平等思想を説いています。なぜなら武士道が問題にしているのは、生き方であり、生命の問題、それから魂の問題だからです。
武士道に関しては、全員がまったく条件は一緒です。誰がやりとおしたか、ということです。武士の世界なら、将軍も足軽もない。将軍ですら、武士道にもとることをやれば、「バカで卑怯な情けない将軍」だと言われるわけです。
逆に足軽でも武士道に則って生きたら、「彼はいい素晴らしい武士で、素晴らしい人生を送った」と言われる。要するに肉体や物質に関わるものすべてを忘れて、「魂と生命」という本当に平等なもので人生を勝負しろということです。
―― これはずっと話が出ていた、数量に置き換える話ではなく、同じ人間なんだから……。
執行 そう。数量に置き換えないと、実は人間は全部、平等だとわかるのです。「私は病弱です」という人もいますが、病弱は病弱にしかわからない素晴らしい人生を送れるのです。短命の人は、短命にしかわからない人生を送れる。どういう「本物の人生」を送ったかを、武士道は問うているのです。武士道は金も出世も、褒められる、認められないも、一切問うていないのです。
―― その生き方の見事さというか、ある意味で貫けたかどうか。自分の生命を燃焼し尽くしたかどうか。
執行 そうすると、物質社会では最も傲慢と言われる「人ができたことで、自分ができないことは何もない」という考えもはっきりわかります。私もそういう魂で生きる。生命を燃焼させる。そこに全力を尽くしているから、歴史上のどんな偉大な人や今のどんな偉い人より、自分が劣っているとは思いません。歴史上のすごい人間ができた人生なら、私も絶対できると思っている。これは運命や生命、魂を重視したらわかります。
―― 勝ち負けではなく、到達点として自分も行けるか行けないか。
執行 人間としての生き方ですから。それを一言で表した言葉です。こういうことを思えない人間は、武士道を全うできないと、山本常朝は言っています。昔の武士にも、「俺の生まれた家柄は、おまえより悪いから」などと言う人がいます。そうではないということです。
―― 「武士道の神髄」の講義でも、まさに第十戒の部分で、どんな偉人の本、あるいはどんなにすごい人が書いた本を読んでいても、自分がそこに到達できないとは思わないとおっしゃっていました。
執行 1回も思いません。それは多分、目指しているものが違うから。問うているのは、自分としての生命、自分としての魂の最良のものを最後まで燃焼できるかどうかだから。武士道とは、みんなそうです。
それが通っていたら、結果論として経営もできる、何でもできるかもしれない。でも、それを問うてはダメなのです。
―― それは副次的な、二次、三次のものだということですね。
執行 そうです。でも実際、武士道的な生き方をした人は、みんないい人生を送っています。今流の言葉で言うと、ある程度の成功もするのだと思います。わかりませんが。私は成功する気がないので、本当のところはわかりませんが。
―― そのヒントは、前の講義(「葉隠武士道」を生きる)でお話が出た、「そのことを考えなければ、逆に自由に考えられる」「自由に手が打てる」といったところもあ...