●移民問題とは、何問題なのか?
今回は、移民の問題についてお話しします。日本の人口が減少してくると、人口を増やす、つまり合計特殊出生率を増やすためにはどうしたらいいかという議論と並んで、必ず出てくるのが、移民を受け入れるという選択肢です。
この移民問題には、実態面と理念面の両方があります。まず理念的なところからお話しします。それは、そもそも移民で人口を増やすことがいいことなのかどうか、という議論です。
●大学経由で入ってくる研究者、技術者、専門家
「移民」といったときの一般的なイメージは、例えば建設工事、工場労働、農業といった、人が足りないところの労働力としての移民と考える人が多いかもしれません。ですが、日本が考えるべき移民というものは、それとは違うのだろうと思います。
移民と呼べるかどうかということもありそうですが、医療技術者やIT関係の人など、言ってみれば、大学・大学院などの高等教育を受けた人で、技術力があり、専門的な研究領域を持つ職業の人が、もっと日本にとどまるべきだということは言えると思います。
そうすると、一つのチャンネルとして、大学経由ということが実は非常に重要なのだと思います。どういうことかというと、理科系ではほとんど日本語を使わなくても済むという分野もありますが、しかし、3年、4年と日本に暮らすということは、日常生活では日本語をどこかで使っています。さらに社会科学系になると、ビジネスの言葉としての日本語も使いこなせるような人たちが日本にいるのです。その人たちを活用するというのが一つのチャンネルだと思います。
●外国人研修生の受け入れ─人種的対立の回避策はある
その変形と言えるのが、研修生の受け入れ(外国人技能実習制度)です。外国から研修生として一定期間来日し、農業や水産業などの技術を習得して帰ってもらうというシステムです。このもう一つのチャンネルをマイナス面の解決でうまく活用すれば、おそらく日本が求める人材を海外から補うことが可能だと思います。
ただし、この分野では、一般的に、クリアすべきいくつかの課題があります。ドイツをはじめヨーロッパが経験した、いわゆる「ガストアルバイター」のようなことです。移民がトルコからやって来る。その子どもたちが大勢いて、国に帰ると思ったら帰らない。そうすると、人種的な対立が生まれ、民族的な政党が出てくる。移民排斥や反移民の主張が一般化していくのです。
しかし、海外におけるいくつかの移民の事例を学ぶことで、こういった問題は防げるだろうと思います。
●日本語という壁
日本の場合、もう一つ厄介なのが、日本語という壁です。アメリカあるいはイギリスに行く場合は、英語という比較的ハードルの低い言語圏なので移動しやすい。ですが、日本語が母語ではない人がそれを使いこなすということは、なかなか難しい。だから移民が来るのも難しい。そういう事情もあります。
そこをクリアしても、心情的に「日本人は外国人が嫌いだ」という意見もあるかもしれませんが、しかし、実態として、実際に地方に入り込んだ外国人移民に関しては皆、親切なのです。ひとたび仲間になるとうまくやっていけます。ですから、心情的、心理的なハードルはあるにはあるけれども、越えることができるだろうと思うのです。
●試験が日本語で行われるという問題
しかし、言葉の問題では、さらにもう一つハードルがあります。フィリピンなどにおけるアマ(阿媽)のような人ですが、香港や東南アジアで欧米系の金融系の人たちは、よくベビーシッターや家事労働のためにフィリピン人などを雇います。こうした家事手伝い、介護職、ナースの仕事などは、出稼ぎ産業として、ある意味でかなり大きいと思います。
では、日本の場合、外国から働きに来る介護職、看護師などの受け入れをどうするのかというと、ここに資格試験を日本語で受けなければならないというハードルがあります。インドネシアから来ている人が「産褥熱(さんじょくねつ)」「寛解(かんかい)」という言葉を覚えなければならないのです。これが試験に合格しない理由の一つです。
技術水準はあるけれども、日本語の試験に答えられない。このあたりは、もっと工夫してもよいのではないでしょうか。例えば、介護をする人とされる人のコミュニケーションが、半分英語、半分日本語でも成り立つのだとしたら、後はその人たちの技術をどう評価するかという仕組みをつくればいいのではないかと思うのです。
確かに、建設現場で人が不足する部分も多くありますが、しかしそれよりも、日本で今後、より人が不足するのは、医療、介護の現場などであり、そこが一番難しいところであり、かつ、日本が工夫しなければならないところでもあります。