●日本のビジョンを曖昧にする二つの考え方
日本のビジョンを考える上での二つの考え方、この二つの異なる立場、二つの異なる考え方の相違をお話ししたいと思います。
一般的にこれは楽観論と悲観論と言われることが多いですが、立場の違いというよりも私は手法の違いではないかと思います。それによって提案が異なっている。日本のビジョンを見ますと、異なる立場、異なる考えが混在しているために、ビジョンがとっても見えにくいということが言えます。
●医者とコーチの立場が混在している
では、その一つの立場というのは何かというと、お医者さんの立場です。「日本がかなり長期にわたって病気をしている、あるいは生活習慣病である。それを治すためにはどうしたらいいか」ということからビジョンを組み立てている人が片方にいるわけです。
もう片方の立場というのは、「いや、日本はトップアスリートだ。トップアスリートをオリンピック、ワールドカップに出すためには、どうコーチしたらいいか」、こういうような立場の人がいるわけです。
ですから、「日本をどうするか」ということには、この二つの立場が混在しているわけです。片方は、かなり深刻な症状と診断して、手術が必要であるとか、そういう病気かもしれないという、立場としては悲観論というよりもお医者さんの立場としてそういう診断をしているわけです。もう片方では、「ワールドカップに出よう」「オリンピックをやろう」「世界で一番であることが大事だ、二番では駄目なんだ」という立場の人がいるわけです。
●相手にするのは元気な若者か病人か
これは常日頃、我々が感じていることとも関係しています。たとえば我々が大学で教えているとき、そこの学生たちは18歳くらいから20歳代前半、大学院生でも30歳少し前くらい、ときには定年後に勉強をしたいという人も来ますが、これはあくまでも例外で、ほとんど若者を相手に授業をしたり一緒に活動しているわけです。たまには病気になったり風邪を引いたりうつ病になったりする学生もいますが、基本的には元気な若者たちで、「世界と競争しろ」とか「この分野ではノーベル賞をとれる」と、元気で優秀な学生のお尻を叩くということが、ある意味で我々の役割なわけです。
ところが医者の場合の多くは、高齢者か病気持ちか、若者がやって来たとしてもどこかを怪我していたり診断治療が必要ということです。医者の場合のこんな冗談がありますが、「給料が少なくても元気なものを相手にしたい」。逆に言えば、教員、我々のような立場は、医者ほど所得は高くないけれども常日頃接しているのは元気な若者です。
●日本の深刻な現状を訴えるという立場
こうして考えると、この二つの立場というのは、かなり異なる考え方で、同じ現象、同じ日本、同じ企業、同じ大学などを見ていても、異なる立場で理解をしているというように思います。
たとえば日本の長期の人口構成で少子化・高齢化というのは確実にやって来ている。あるいはグローバル化や情報化ということがありますが、果たして生き残れるのだろうか。
具体的には、技術で日本は優位に立っているとしても、「技術で勝ってビジネス、事業で負ける」ということがここ何年間かビジネスや企業経営者の間で言われていることです。
あるいは社会保障はどうしても重たくなりますが、その負担は誰がするのか。財政の赤字が山ほどある。それは無駄というよりも社会保障、言ってみれば医療、年金、介護などに出ていくお金で、社会保障の給付がどんどん増えているわけです。それに比べて税収のほうは滞る。相当入ってきたとしてもその差は拡大傾向にあるのです。そこを国債で埋めていたり、あるいは税金を上げなければいけないということです。そういう点ではかなり深刻なことが日本にある。
●日本の素晴らしさを強調するという立場
もう片方の立場は「日本は素晴らしいんだ」というものです。「この素晴らしさが外に伝わっていないだけだ」という立場の人もいます。まあ、イケイケです。「技術では負けない」「世界に十分互していけるんだ」「科学技術、学問も世界でトップ水準だ」「経済もGDPで世界3位になったとしてもまだ成長はできるんだ」「デフレだけが問題なんだ」と、こういう立場の人もいるわけですね。あるいは伝統や文化を強調し、「この伝統と文化があれば世界をリードしていける」という立場の人もいます。
●どちらも正しいが優先すべきはどちらなのか
この二つの立場、お医者さんが診断する現状、それから片方は「自信を持って世界に向かえ」という主張、どちらも正しいわけです。
そうすると、どちらも正しいけれども、優先すべきはどちらなのか。つまり診断なのか、正しい処方をするためには臨床医的な立場、お医者さんの立...