●優れた国家防衛論として読める『墨子』
田口 私が今日お話をしたいと思うのは、国防とはどういうものかを考える上で役立つ古典についてです。いろいろ読んでみた中に『墨子』というものがありますが、ご存じですか。
―― はい、名前だけは。
田口 この『墨子』という書を読んでみると、実に優れた国家防衛論になっています。
時代背景を少し申し上げると、諸子百家(が活躍した春秋戦国時代にさかのぼります)。諸子百家の中で一番隆盛を極めたのは当然儒家(儒教)ですが、墨家はこれに並ぶ二大勢力だったといいます。
「百家」というのは、たくさんという意味で「百」が付いているものと思われがちですが、実はそうではありません。漢の時代の歴史書である『漢書』に、正確に数えた「189家」という数が出ています。
189もの独自思想を持った人間が諸国を経めぐり、「私の論法でいきなさい」「私の論法なら勝てる」「私の論法に従えば、国家は富国強兵で発展する」と言い競っていました。その189の中の二大トップとして、儒家と墨家があったのです。
―― なるほど。
●春秋戦国時代に「非戦・非攻」を主張
田口 それほどの存在だった墨家なのですが、彼らは謎めいていました。なぜかというと、秦の始皇帝の頃になると影も形もなくなってしまっていたからです。一体、これは何だったのか。
―― なるほど。始皇帝の時に、もうなくなってしまうのですね。
田口 そう、もうすでに途絶えていました。だから、(墨家・墨子についての)中国の研究家も細々としかいないぐらいでした。ところが、清の時代になって非常に優秀な研究家が何人か出て、墨家をまた発掘してくれました。だから、現在のわれわれがこうして読めるわけです。
(『墨子』の著者は)墨テキという人ですが、氏素性もよく分かっておらず、「墨」は入墨のことだといわれています。このような姓だったということは、それほど高い位の人ではなかったのでしょう。相当底辺から出てきて、自分の主張を思想として苦労しながらまとめて『墨子』を著し、「墨家」を形成した人なのだろうとうかがえます。
―― なるほど。
田口 しからば、彼はどういうことを説いたのか。当時の中国は群雄割拠の混戦状態が500年間続いていたわけですが、その真っ只中で「非戦・非攻」を主張したのです。
―― 春秋戦国時代ですから、それは素晴らしいですね。
田口 春秋戦国時代に「戦ってはいけない」と。特に「非攻」というのは、「侵略戦争はいけない」という主張です。周囲が侵略戦争を行っている中で、「非戦・非攻」を主張して、諸子百家の中のほぼトップに躍り出ていたという卓越性があるのです。
●墨子が主張した「義と不義」の分かりやすさ
田口 彼の「非攻」主張について(『墨子』に)象徴的に表れている箇所を紹介しましょう。
例えば、一人の人間が今、他人の畑に入って桃や李(すもも)を盗んだとする。それを聞いた人は、“それはやってはいかんことだ”と非難するだろうし、彼は国から捕らえられ罰せられるだろう。なぜかというと「他人に損害を与えて自分の利を得ようとしているからだ」と。
次に、これよりひどい例として「他人の犬や豚や鶏を盗んだらどうか」と問い、さらに「罪のない人を殺し、衣服や持物を盗んだらどうか」と、どんどん罪の深いほうへとたたみかける。それらが、(桃や李を盗むより)もっといけないとされていくと、「多くの君主は、これらが全てよくないことだと、よく知っているではないか」という。
その道理を知っていて、しかも不義がますます甚だしくなっているにもかかわらず、戦いで領土を広げると「よくやった」と英雄にまつりあげる。一人を殺せば殺人犯で、たくさん殺せば英雄とは、どういう論法なのか。君主が泣いて驚くべきことである。
そういうことも分からずに「君主である」と言っているのは、なぜなのか。他国へ攻め入るに至っては、なぜこれが不義とならずに義となるのか。
こう言うのです。
―― なるほど。
田口 このように、非常に分かりやすい論法を繰り返し述べるため、大向こうから喝采を受ける。その辺りにいるおじさんやおばさんにもよく分かり、納得できる理屈だということです。
●非攻を成り立たせる「兼愛」、それは利他の精神
田口 しかも、『墨子』には「これに対する反論には、このようなものがある」といちいち記されています。つまり、本書は「反論集」「想定問答集」のようになっている書物なのです。
―― そうなのですか。
田口 (墨テキは)このように反論に対する反論を巧妙に行き渡らせた論法を使いこなした人です。そして、「非攻」においては何が重要なのか。簡単にいうと「兼愛」であるということが有名になっています。
「兼」というのは...