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「話を聴けば判ることじゃろう」「問答無用、撃て」

第三章 社稷を念ふ心なし――五・一五事件への道(17)海軍の青年将校が主導した五・一五事件

渡部昇一
上智大学名誉教授
情報・テキスト
五・一五事件を伝える大阪朝日新聞
1931年の三月事件と十月事件の流れが、翌年の1932年5月15日に起きた、あの五・一五事件につながる。首謀者は、国家改造を目指す若手海軍士官の集まりである王師会の主要メンバーだった。上智大学名誉教授・渡部昇一氏によるシリーズ「本当のことがわかる昭和史」第三章・第17話。
時間:04:33
収録日:2014/12/22
追加日:2015/08/27
≪全文≫
 こうした青年将校たちの動きが、翌年の昭和7年(1932)5月15日に起きた五・一五事件へとつながっていくことになる。

 今度は海軍側で、「国を憂える陸軍の青年将校たちが十月事件などの壮挙に及んだにもかかわらず、自分たちは何もしていないではないか」という話になったのが事の発端だ。

 海軍にも藤井斉大尉(戦死後少佐に進級)という、青年将校運動のリーダー格と目される人物がいた。藤井大尉は大川周明や西田税らと交流を持ち、昭和3年(1928)に国家改造を目指す若手海軍士官の集まりである王師会を結成したが、昭和7年(1932)の第一次上海事変で偵察飛行中に戦死している。

 その王師会の主なメンバーが古賀清志中尉、三上卓中尉、中村義雄中尉で、彼らが五・一五事件の首謀者だった。彼らは陸軍にも声をかけ、その後二・二六事件の中心になる安藤輝三大尉や村中孝次大尉に参加を呼びかけたが、彼らは時期尚早だといってクーデターに加わらなかった。陸軍からは、その場に居合わせ、クーデターに賛成した士官候補生11名が参加している。

 この五・一五事件の特徴は、民間右翼に広く声をかけたことだ。たとえば大川周明をはじめ、橘孝三郎が率いる水戸の愛郷塾、それから本間憲一郎が塾長を務める土浦の紫山塾、頭山秀三が設立した世田谷の天行会が加わっている。だが実際には大川周明・頭山秀三らは動かず、蹶起に参加したのは愛郷塾の農民決死隊だけであった。

 ピストルや手榴弾は海軍将校が上海から持ってきたもので、それらを運んだのが駆逐艦「楡」だったというから、ひどいものである。

 第一組(三上中尉指揮)が首相官邸と日本銀行、第二組(古賀中尉指揮)が牧野伸顕内大臣邸、第三組(中村中尉指揮)が立憲政友会の本部を襲撃したのち、各隊が合流して警視庁を襲撃する計画だった。また愛郷塾の農民決死隊が変電所を襲い、混乱に乗じて、荒木陸相を首相とする内閣を樹立しようと企てたのである。

 彼らは襲撃を終えたら憲兵隊に自首するつもりだった。あの十月事件でさえ、首謀者たちはほとんど懲罰を受けていないのだから、たいした罪にはならないと考えていたのだろう。

 首相官邸に向かったのは三上卓中尉、山岸宏中尉、村山格之少尉、黒岩勇予備少尉の4人の海軍士官と陸軍士官候補生5人である。裏門から山岸中尉と村山少尉が官邸内に侵入した。これは有名な話で、犬養毅首相はまったく慌てることなく、「話を聴けば判ることじゃろう」(勝田龍夫『重臣たちの昭和史 上』〈文藝春秋〉所収、司法省「右翼思想犯罪事件の綜合的研究」)といいながら、胸元に拳銃を突きつけた三上中尉を、食堂から日本間に誘導した。三上中尉が「我々が何の為に来たか判るじゃろう、何か云うことがあればいえ」(同書)と話し、犬養首相が何かを言い出そうとして体を前に乗り出したとき、山岸中尉が「問答無用、撃て」(同前)と叫び、黒岩予備少尉と三上中尉の拳銃が火を噴いた。

 このとき警官が一人重傷を負い、もう一人は首相官邸を襲撃した将校たちと戦って殉職している。第二組は牧野内大臣私邸の表玄関から手榴弾を投げつけ、警視庁の総監室に入って手榴弾を投げ、庁内でピストルを乱射したあと麴町の憲兵分隊に自首した。
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