●安倍首相は歴史に名を残したかった
安保法制は、なぜこれほど時間がかかり、これほどてこずってしまったのかというお話をしたいと思います。
一つは憲法問題がありますし、正面から集団的自衛権の解釈を変えるということが関係します。もちろん国際政治から、あるいは世界の安全保障の問題から議論した方がいいとは思いますが、この安保法制の議論に関わったある学者が、「憲法問題から入らない方が良かったのではないか」とつくづく言うのですが、実は私はそうは思っていません。
安倍晋三首相は、憲法問題と集団的自衛権をやりたかった。なぜやりたかったのか。それは、歴史に名前を残したかったからです。通常の法律制定で間に合うはずのものを、憲法や集団的自衛権などという大上段から振りかぶったというのは、安倍首相は、実は名を取りたかったのではないかと思います。
名を取って実を捨ててもいい。実を捨ててもいいというのは何かというと、高村正彦自民党副総裁に任せた時には、「限定的な集団的自衛権」と言いました。これは石破茂幹事長(当時、現地方創生担当大臣)の主張とは若干異なるし、高村副総裁であれば公明党との関係もうまくいくだろうということで、限定的というごくごく狭い範囲の集団的自衛権ということを議論したかったのだろうと思います。
●論争の発端は憲法審査会の「違憲」発言だった
それで、昨年の2014年7月1日に閣議決定がなされるわけですが、その時にはあまり議論されなかったのに、なぜいま憲法がこんなに改めて問われているのかと思う人がいると思います。実は、ロジックは昨年の閣議決定も今年の安保法案も同じなのです。確かに砂川判決、あるいは1972年の政府見解などを出された当時は、「集団的自衛権は無理だ」とされ、それらは個別自衛権の話でした。それに対して昨年の閣議決定では、その判決や政府見解を、集団的自衛権や解釈改憲ができるという根拠として使っているわけですね。
ですから、昨年の閣議決定の時にも、「砂川判決では根拠として無理であり、控えてくれ」と公明党は言っていました。でも今年改めて、また砂川判決を出してきた。これには特に、高村副総裁が外相当時の砂川判決に非常に固執していたところがあります。
ところが、流れが大きく変わったのが2015年6月4日の憲法審査会です。さらに、6月15日の記者クラブでの会見でした。憲法審査会で3人の憲法学者が出てきて、集団的自衛権の話になり、質問がそこに振られたわけです。この日の憲法審査会のテーマは何だったかというと、立憲主義についての議論の日だったのです。ところが、話の流れで集団的自衛権や憲法問題の方に議論が行ってしまったわけです。そうしたら、3人とも明白に違憲だという見解を出しました。自民党推薦の憲法学者でさえ違憲だということで、一気に憲法問題に火がついたわけです。
それまで、集団的自衛権は違憲だということはかなりの人が言っていたわけだし、憲法学者の中でも、憲法改正をしなければ無理だということを言っていた人はたくさんいるのです。それなのに、この憲法審査会以前はあまり大きな議論にならなかった。火がついたのは国会での安全保障の議論、あるいは安保法制の特別委員会の議論ではなくて、憲法審査会の方の議論でした。そこからいきなり大きく広がっていったのです。
●解釈変更は、立法プロセスのあり方から見ても無理がある
もう一つ、実はこの問題を考えるには、立法における国会答弁の意味と、内閣法制局の役割に触れることが必要です。これには日本の立法、つまり国会の役割は何かということも関係します。なぜ日本では、国会答弁に対してあれほど役所が責任を持って、毎晩徹夜して答弁書を書いているのか。
あるいは、内閣法制局という組織は「憲法の番人」であると言われますが、これはおそらく間違った表現だと思います。内閣法制局は政府機関の一部に過ぎないわけですから、「憲法の番人」でも何でもないわけです。非常に厳格に法案の品質管理をし、過去の法律や憲法との関係を事前にチェックしており、立法上の非常に重要な役割を果たす機関なわけです。ですから内閣法制局は議決機関ではありません。
そこで内閣法制局の業務や国会答弁というものが積み重なると、どういう意味を持つのか。国会答弁が積み重ねられるということは、ある意味で立法がそこでなされているということでもあるわけです。そういう点で言うと、憲法9条問題というのは、非常に議論の積み重ねが多い問題なのです。従来の政府見解、あるいは国会答弁の積み重ねがあったことで、集団的自衛権は国際法上では認められるけれども、日本の憲法に照らすとそれは行使できないという解釈がされてきたのです。
そういう積み重ねがある憲法問題について、...