●問題を持ち出したのは今60代半ばの全共闘世代
―― 「25年で戦争の記憶が消える」というロジックが分かると、非常に分かりやすいですね。日本では、70年代で消えていたものに自分たちで火をつけて、それが飛び火する。済州島の従軍慰安婦は、日本人の吉田さんが嘘を書いて、それが露見する。その後は、中曽根さんの靖国参拝時に一つあり、河野談話に行く。皆、自分たちですね。
岡崎 まだまだいくらでもあるのです。従軍慰安婦も、国連の人権委員会に持ち込んだのは、日本の法律家の集まりです。人権委員会で結論を出させました。それから、アメリカの議会で決議案をつくらせたのは、マイク・ホンダという日系人です。
それから、これはもう当時としては当たり前のことで、皆やっていたのですが、私がタイの大使に赴任した1988年頃には、バンコクでもマニラでもジャカルタでも、日本の新聞記者のお得意さまのような評論家で、ちゃんとした政治学者がいました。日本の防衛費が少しでも増えると、特派員がその人たちをつかまえて、「日本の軍国主義復活は怖くないか」と聞くのです。そう聞かれれば「怖いです」と言ってしまいます。ですから「怖いよ」というコメントを書くのです。
そうすると、日本の新聞には、「ジャカルタでも何々という政治学者が日本の防衛費増額に対して懸念を表明」と出るのです。しかし、それは本人にとって悪いことではありません。政治学者ですから、その発言がちゃんと日本の新聞に引用されるということは売れ筋になります。ですから、皆それをやっていました。
それで私は、タイに行ってから、そういう人を一人つかまえて、「お前の発言がこう引用されているよ」と説明しました。自慢ではありませんが、それ以降、タイの新聞ではそのような発言は今に至るまでゼロになりました、そのうちに、東南アジアで全部なくなりました。今言っているのは、中国や韓国だけの話で、東南アジアはゼロなのです。ですから、日本から持ち出さない限りはないのです。
―― そうですね。少なかった問題を自分たちで持ち出して、天安門以降、中国共産党の立ち位置を守るために推進した愛国運動で、ナショナリズムに火をつけてしまって、今度は燃え盛ったと。
岡崎 おっしゃるとおりです。どうして日本人がそのようなことをしたかですけれども、今までそんな分析はどこにもないのですが、私の分析によれば、全部全共闘世代なのです。
この人たちは、70年代安保で叩き潰されて、挫折してしまいます。ですから、1970年を1年とったら、大阪万博がお祭り騒ぎで、もう誰も相手にしません。70年安保に関わった連中の名前は警察でリスト化されていますから、一般の企業が就職させないのです。そうすると、それとは関係なしに採る場所というと、これは新聞しかないのです。それで皆、新聞社や通信社を受けて入る。役所もある程度そうです。それから、研究室に残る人。就職口がないから残らざるを得ない。70年の安保ですから71年、72年の就職試験の時にそういう状況です。その連中が新聞社に入って、10年経って実力が出てきた。それが私の意見です。
また、これはまだ私が勝手に言っているだけで証拠はないですけれども、聞いてみると、皆やはり全共闘世代で、お互いに連絡を取り合って、これをやろう、あれをやろうとやっていたようです。
その全共闘世代が、やっと60半ばになってきましたから、もう5年ぐらいで消えるでしょう。消えるけれども、中国と韓国に植えつけてしまった。
―― 実際、火をつけてしまった。
岡崎 そう、火をつけてしまった。それをどうするかです。ただ、もう今の人でそのように火をつける人はあまりいないでしょう。あの頃の日本人がもう、いたるところで火つけて歩いたのですから。
●50代は両親が戦前教育を受けているから一番いい世代
―― 60代半ばから後半ですよね。
岡崎 そうでしょう。 神蔵さん、今いくつですか。
―― 僕は57歳です。
岡崎 では、その後だ。その後がいいです。ですから、安倍晋三さんの世代ですね。
―― はい、そうですね。野田佳彦さんとか、皆そうです。
岡崎 その世代の何が一番いいかと言うと、両親のどちらかが、きちんとした戦前教育を受けています。そこから下になると、親も子も戦後教育という世代になります。ですから、50代の人は両親のどちらかが戦前教育を受けています。これはあまり外に言わない私の理論だけれども。
―― でも、これは非常に符合しますね。だいたい、菅直人さんや仙谷由人さん、河野洋平さんもそうかもしれないですけれども、並べてみると、だいたいその年代です。本当に自民党のリベラルと社会党の人。その辺りですよね。
岡崎 今の65歳ぐらいの連中です。新聞社では皆「左翼親父」と言っているジェネレーショ...