●お友達であれば全て駄目なのか
政治における「利益相反」という問題について、お話しします。森友学園と加計学園の問題では、議論すべきことがいくつかあります。例えば、誰が真実を語っているのか、嘘をついているのは誰か、不正確なことを言っているのは誰か、という問題があります。これは国会で議論されています。あるいは、文書管理が省によって異なっているとか、文書管理のルールを改めて作り直すべきだ、という問題もあります。しかし今日は、利益相反の問題だけにしぼって、お話しします。
7月10日の閉会中審査において、加戸守行・前愛媛県知事が、次のような発言をしました。
「加計学園が、たまたま愛媛県会議員の今治市選出の議員と加計学園の事務局長がお友達であったから、この話がつながれてきて飛び付きました。これも駄目なんでしょうか。お友達であれば全て駄目なのか」
友達であれば駄目なのかどうかというのが、今日の話の焦点です。つまり、利益相反問題についての非常に狭い範囲でのお話です。ただし、今回は民法が規定する利益相反から、政治の世界の利益相反にまで、拡大させてお話ししましょう。
●利益相反の防止には、大掛かりな仕組みが必要である
通常、利益相反は、複数の当事者がいる場合、一方の利益となり、かつ他方の不利益となる行為のことを指します。利益相反が起きないようにするため、具体的には、自己代理、双方代理は禁止されます。
双方代理の禁止とは、例えば弁護士事務所が、被告と原告、両方の弁護はできないということです。弁護士事務所にしても、会計事務所にしても、双方利益にならないようにするために、相当なファイアウオールを設けるなど、あたかも別事務所の形をとるような大掛かりな仕組みが必要です。さもなければ、同じ事務所が、被告と原告の両方を引き受けることは不可能なのです。
また、官僚は天下りが禁止されています。発注者である官僚が、受注者である業者に天下りするのは、利益相反に当たります。政治の世界では、これが問題となってきました。
●政治の倫理はクリーンハンドである
それでは、友達の場合はどうでしょうか。総理大臣と加計学園の理事長が腹心の友であるということ、これは利益相反なのでしょうか。「李下に冠を正さず」と、よく言われます。公平公正な判断が妨げられるかが問題で、これは内実の話...