●膨大な知識量増加が生んだ「個人知の限界」
それでは、「知識の爆発」についてお話したいと思います。知識の量が、この20世紀から今にかけて膨大に増えました。その増え方というのは、おそらく千倍とか1万倍とかそれほどの量が増えたのです。
知識の量が増えたということは、もちろん人類にとってはいいことなのですが、1人の人が分かる部分が異様に小さくなってしまったという問題も含んでいるわけです。
例えば、私が学生だった頃は、「生命科学」はなかったのです。ゲノムがワトソン、クリックによって発見されてからまだ50数年しか経っていません。ということは、私が学生のときには、まだ生命科学という形で習ったことはありませんでした。
それから、「情報科学」というのもありませんでした。まだそろばん、計算尺といったような時代でしたから、情報科学というものもなかったのです。量子力学というのはありました。ですが、今のようにレーザーといったものが当たり前で、量子力学なしには技術者が動かないといったような状況ではありませんでした。量子力学そのものも、まだそれほど重要ではありませんでした。
そういう意味で言うと、今、生命科学と情報科学と量子力学、これら三つを勉強しないで済んだら楽ですよね。つまり、それぐらい新しい知識というのは無駄に増えているということです。だから、われわれ年寄りが、「最近の学生がこういうことも知らない、ああいうことも知らない」などと言っても、それは無理だということなのです。それが一つ。
それからもう一つの事例をお話しますと、こういうことにわりあい早く気がついた人がやはり世界にはいて、私が知っているのはセシという、フランスの人だったと思いますが、確か1982年に論文を書いています。これは、大変な実験をしたのです。本当にトップ、メジャーと言われる学術誌12誌を選んで、それらの雑誌に3年以内に既に掲載されている論文を、もう1回投稿するという実験をしたのです。 そのような優れた学術誌というのは、その分野のことを一番よく知っているだろうと思われる審査員が大体3人ぐらいで見るわけです。例えば、「エネルギー分野だったら小宮山先生に見てもらおう」といったことです。そういう形で、トータル4人で読むところもあるので、計39人の審査員がその12の論文を読んだのですが、そのうち、この論文が3年以内に出た再投稿...