●デザイナーになったシファロ、物乞いのままのヨハネス
―― 『Room11』の2人は急に資産が減ってしまいましたが、あれは何があったのですか?
川瀬 あれは、雨期で雨が集中的に降ったため、顧客が一気に減ったのです。だから、ある程度自分で食べてしまったのではないかと思います。
―― 彼らは今どうしているのですか?
川瀬 彼は今、レザージャケットのデザイナーとしてすごく活躍しています。2人いたうち、僕に近い方の黒い顔のシファロは、今では立派に1人で住み、1人で生計を立てています。僕のレザージャケットを今年(2018年)作ってくれました。約10年ぶりに再会して、本当に感動的でした。もう1人はあまり変わっていないです。物乞いに通っています。依存体質が抜けきれなくて、駄目ですね。
―― ストリートチルドレンから自立できるかというのは、本人の意識によるところが大きいのでしょうか?
川瀬 その通りです。ですから、あらゆる発展途上国への開発の問題とも響き合う点だと思いますが、単に援助すればいいのではなくて、やはり本人が、いかに考えて試行錯誤して創意工夫を積み重ねて生きていくかということを、本人が培わなかったら、どれだけお金を渡してどれだけ投資しても結局同じことだと思いますし、その国が、そのコミュニティーが自立していくことはできません。
援助を受けていると、依存体質ができてしまって、いかに狡猾に援助のお金を引き出すかが、やはり中心になってしまいます。そういった意味では、ヨハネスとシファロの二人は非常に象徴的です。シファロは素晴らしくて、イタリアが出資する職業訓練校に数年間行きました。そこで、かっちりと、質素な暮らしながらも全寮制の学校の中で職業訓練を受けて、皮の加工をする、デザインをするという一つのサーティフィケートをちゃんと得て、自信を持って、つつましやかながらも自分で歩み始めました。自分の手で、自分のペースで仕事をすることが、どれだけ尊いことかを身をもって学びました。
もう1人のヨハネスもまた象徴的で、全然そのようなことをやらず、とにかく物乞いのみです。外国人にもたかります。流ちょうな英語もしゃべれますし、派手なことは非常に好きです。路上で外国人のパトロンを探してたくさんの資本金を随時得ますが、必ずそれをファッションや飲み食いに使ってしまいます。そして、すぐにまたパトロンを求めて路上をさまよう生活を、10年以上繰り返して、結局、何も進展はありません。あの映画の、あのステージしか一切何も変化がないのです。僕、そこは厳しく見ていますが、とても対照的に2人の人生は、真っ二つに分かれました。全く違う方向にいきました。
ただ、片方の、レザージャケットの彼の方は、手に職を持ったことも良かったですが、それ以上に、最初にイタリアの援助団体のきっかけがあったとはいえ、自分を実現させていくこと、深めていくことの喜びを、自分で気付けたことが大きかったのです。どんな状況でも自分で生きていけます。どんなことがあっても、もうパトロンの資金的なサポートは必要なくやっていくはずです。あの後の人生に関しては、僕は、映画よりも文章で書いた方がいいと思っています。
●『Room11』の二人の異なる歩みは開発援助の縮図である
川瀬 あの映画のことはあの映画で、もう完結していて、もう世界中で上映してもらって、短いとはいえそれなりの議論を巻き起こしてきたので、映画は映画でいいと思いますが、その後10年の、2人の全く異なる歩みは、非常に僕自身も考えさせられました。それと同時に、途上国への援助開発そのものの縮図だと思っています。
そんな簡単に、貧しい人にお金を与えること、途上国に日本政府が援助することは、短絡的に議論されるべきではないと思います。お金はあげればいいというものではないし、病院や学校など箱物をバンバン建設すればいいものでもないということです。それを現地の脈絡に準じて運営し、維持していくという、その在来の知とその工夫と意志に裏付けられなかったら、どれだけ荘厳な箱をばんばん日本政府がアフリカで築いても、あるいは東南アジアで築いても全然意味がないと思っています。
『Room 11』の、その後の2人の別れはその縮図だったと思います。ですから、もう1人がまだ物乞いしているのは、駄目ですよね。お金をあげるだけでは駄目で、本当に重要なのは知恵と、精神的なエンカレッジメントであり、お金は表面上のちょっとした部分で、本当に大事なことはもっと奥底にあると思っています。常にそれ以降、励まして意見を交換し合って、頭をひねってともに考える、そういった態度の方が大事であり、資金は目に見やすい部分ではあっても、全てではないと思います。
―― 川瀬先生は以前、エチオピアの少年に学費として仕送りされてい...