●先進国の低成長の背景に量的に満たされた社会がある
〝「プラチナ社会」とはいったい何ですか〟という質問を受けることがあります。「プラチナ社会」とは、「量的に豊かになった人々が求めるクオリティの高い社会」と定義しています。
例えば、20世紀に、人類は急激に豊かになりました。寿命で言えば、20世紀の始めには、なんと世界の平均寿命は31歳と、ものすごく短かったのです。それが、今や世界平均で70歳を超えています。それぐらい人間は長生きできるようになってきたのです。国で言えば、先進国ではこれ以上必要ないというくらい道路、鉄道といったインフラができてきています。
その次に人々は何を求めたかというと、冷蔵庫、テレビなどの家電製品です。さらに豊かになって、1970年代ぐらいに、日本では皆、急激に自動車を持つようになってきました。同時に、公共交通として飛行機などが出てくるわけです。そして、さらに情報機器の延長として、端末のようなものも出てきます。
その結果、21世紀に入ってきたときに、先進国では、人々がものを量的に十分に持った社会になりました。それは、衣食住、車や飛行機といった移動の手段、情報の手段、さらにいうと長生きです。お腹が空いていたら食べたいわけだし、雨が降ったときにしのぐ家が欲しいわけだし、知りたいわけだし、動きたいわけだし、長生きしたいわけです。
こういった、基本的に人間が自然と持っている欲望を満たしてくれるものを、今は量的にもう十分に持っているのです。これが、先進国の低成長、それから、皆が何かを求めて前に進むといった社会の一体感というものが失われつつある背景だと、私は思うのです。これを一言で言うと、量的に満たされた社会です。
●次に目指すべき社会として、クオリティの高い社会を「プラチナ社会」と定義
では、この先どうなるのでしょうか。求められるものは、クオリティ、質だと思います。例えば、長生きといっても、健康もそうなのですが、もっと誇りある人生、心も体も健康で長生きなど、これらはクオリティが高いということの一つの例です。それから、衣食住。住はあるとして、その上で、もっといい家、住みたくなる家というものが、クオリティが高いということになります。自分のことを言うのは変ですが、小宮山エコハウスというのは、建て替える前の家よりはるかに住環境はいいのです。そうした家もクオリティが高いということの一例です。ですから、食べ物だったら、もっとおいしいということがあるかもしれません。
衣食住、移動の手段、情報の手段、長生き、こういったさまざまなことが、どうやったらもっとクオリティが高くなるか、具体的には分かりません。それをこれから考えていく、あるいは今一生懸命考えているところですが、私は、そういうクオリティの高い社会を、次に目指すべき社会として、「プラチナ社会」と定義しました。そして、そういう社会を作っていくための運動を進めるネットワークを「プラチナ構想ネットワーク」として今、一生懸命取り組んでいるわけです。
●「プラチナ構想ネットワーク」を進めるため、自治体を重視する
日本という国は、中央集権国家として明治維新以来進んできて、1970年ぐらいまではうまくやってきたと言えるのでしょう。先ほど申し上げたように、衣食住、移動、情報、長寿という意味で、これだけ人々が豊かになったわけですから、成功したと言っていいと思います。
では、この「プラチナ構想ネットワーク」という運動を進めるにはどんな要素があるのでしょうか。私は、その一つが自治体だと思います。
日本は世界で一番大きい民主主義中央集権国家です。もちろんアメリカのほうが大きいけれども、あそこは州の権限がものすごく強いのです。ですから、オバマ大統領には、消費税の税率を決める権利も必要もないわけで、州が勝手に決めているわけです。
日本は、世界最大の民主主義中央集権国家であるがゆえに、ここに一つの難しさがあるのです。1億人を超える人の合意をとっていくというのは、やさしくありません。
やさしいのはどういうときかと言うと、皆が貧しいときです。衣食住、移動、情報、長寿といったものを皆が求めているときは、途上国の時代です。このときには「もっと豊かになりたい」と、皆が当たり前の欲求でまとまることができます。だから、おそらく日本でそういう政策が成功してきたというのは、所得倍増計画ぐらいまでではないでしょうか。あれは、「貧しいわれわれが豊かになりたい」ということです。
けれども、人間の欲望というのは非常に多様です。豊かになったあとは、「食べたい」ではないのです。いろいろなものを食べたい人がいるし、どんなところに住みたい、どんな自然がいい、どんな都会がいいとい...