●日本のイノベーションのジレンマ 三つの理由
まず、「イノベーションと経済成長」というお話をします。
多くの人は、イノベーションが経済成長につながると思っているわけで、それはそれとして正しいわけですけれども、日本のイノベーションの議論をするときに、必ずぶつかる課題があります。それは、イノベーションのジレンマなのか、イノベーションのパラドックスなのか、ということです。
これはクレイトン・クリステンセンが言う「イノベーションのジレンマ」とは違った意味で、一言で言うと、「技術で勝って、ビジネスで負ける」ということです。つまり、イノベーションとして日本は技術を持っている。だけれども、ビジネスとしては成り立たない。なぜなのか。
これは、今日は詳細には議論しませんが、一つ目の理由としては、日本の企業はビジネスモデルとして発展させる力が弱いからではないか、ということが挙げられます。二番目は、過剰適用をする、ということです。つまり、顧客、あるいは市場への過剰適用、言ってみればガラパゴス化がそこで起こるわけですね。そして、三番目は、半端な国際化と言っていいでしょう。つまり、日本の市場規模がそこそこ大きいがために、日本国内で勝負するのか、海外に一気に出て行くのか、そこの決断が非常にしにくいのです。外国語を、例えば、英語だけで全部済ますということもできないし、だからと言って、日本語だけで勝負することもできない、という状況に陥ります。
●タイラー・コーエンの「経済成長三つの要因」でかつての日本の経済成長を考える
こういうことがありますが、イノベーションと経済成長の関係を議論した面白い本があります。それは、タイラー・コーエンという人が書いた『大停滞』という本に出てくるのですが、アメリカの経済成長を三つの要因から分析しているのです。経済学者の本にしては非常に分かりやすいというか、少し単純化しすぎていますけれども。
彼は、次のように述べています。経済成長というものは、容易に獲得できる果実である。それはどういうことを指しているのかというと、経済成長の要因の一つに、無償の土地があったということが挙げられる。アメリカの過去の経験から言えば、フロンティアはどんどん西に延びていきました。それは、無償の土地を目指して拡大していったわけです。二つ目の要因が、イノベーション、技術革新である。そして三つ目が、未教育の賢い子どもたち。この三つが重なることによって、アメリカは経済成長ができた、容易に獲得できる果実を手にすることができたという論旨で、非常に単純で分かりやすいわけですね。
これを日本に当てはめますと、どういうことかというと、無償の土地の代わりに輸出市場がかつて東南アジア、ヨーロッパ、アメリカなどに拡大していきました。競合する相手もそれほどなく、貿易摩擦もそれほどないとするならば、収穫逓増、逓減ではなくて収穫逓増の法則が働くという青天井の世界だったわけです。しかし、これは今はもうありません。
二つ目が、イノベーションというよりも敗戦後、設備投資をするときに、新しい設備をゼロからスタートすることができた、という点にあります。例えば、新鋭工場をつくったり、あるいは、生産性の高い最新鋭の機器を導入することができたということです。これが経済成長の原動力だったわけです。
三番目の未教育の賢い子どもたちというのは、これも分かりやすい要因です。大量に中等教育、高等教育に人は進んだ。そして、それが成長の原動力となった。今の中国のようなことが日本に起こっていたわけです。
●産業革命期に出尽くしてしまった感のあるイノベーション
こうして考えてみると、イノベーション部分、先ほど言った技術革新というのは、今あるのだろうか、という疑問が生じます。というのは、これがタイラー・コーエンが主張している重要な部分なのですが、「イノベーションは19世紀に出尽くした」と彼は言っているのです。「19世紀に」とはどういうことかというと、産業革命期に出尽くしたのではないか、という意味です。
具体的にいつ頃からかといえば、1880年から1940年ぐらいまでに、例えば、電力、電灯、モーター、自動車、航空機、家電製品、電話、水道、医薬品、大量生産システム、タイプライター、テープレコーダー、写真、テレビなどは、もうその頃に既に出てしまったわけです。そうすると、新しい画期的な、例えば、蒸気機関が導入されるとか、電話、電信が導入される、あるいは、自動車が発明される、といったことに匹敵するものは、今あるのだろうかということになります。
●インターネットの発展を「無償の土地」「イノベーション」の観点で考える
ここで一つ可能性があるのは、実はインターネット、つま...