●「伊藤博文の暗殺者」「アジアの平和の義士」―日韓で異なる安重根の評価
若宮 今回は、韓国の話でちょっとした秘話をご紹介します。
韓国では「アンジュングン」と言いますけれど、安重根の記念館が今年になって中国のハルピンにできました。これに日本の菅義偉官房長官が、「あれはテロリストだ。テロリストの記念館をつくるのか」と言って抗議したりして、少し論争になりましたよね。
安重根は確かに伊藤博文を暗殺した暗殺者なのですが、韓国にしてみれば、強引に韓国を併合に向かわせた当事者として伊藤博文は悪名高く、安重根は悲劇の英雄になっているのです。そこで、その安重根の記念館を、習近平主席が朴槿恵大統領のご機嫌をとるようにつくったという構図で、そのようなことに菅さんがかみついたということなのです。
今日は詳しく述べる時間はありませんが、日本にも安重根をかなり評価する人がいたのです。伊藤博文を暗殺したこと自体を評価するわけではないけれども、東洋の平和を考えた大変な義士であり、孫文などと似たような思想の持ち主であった、という評価です。
当初、安重根は日本に大変期待して、日露戦争の時には日本を応援していました。それは、日本が韓国の独立を守ってくれるというようなことを言っていたからなのですが、日露戦争に日本が勝つと、日本と韓国の保護条約を強引に結んで、韓国の外交権を取り上げてしまいました。そのことに怒って、安重根はゲリラ運動に入るのですが、これも弾圧されてうまくいかないものですから、ついに伊藤博文を暗殺してしまったのです。けれども、捕まってからも態度が非常に立派であったということで、観衆が大変心酔したなど、いろいろな話があります。
●日本にも、安重根を研究し正しく評価しようとした財界人、政治家がいた
若宮 話せば長くなるので端折りますが、韓国人が最初に安重根のことを発表したのに共鳴して、日本で安重根の研究会をつくった財界人がいます。小野田セメントの社長までやった安藤豊禄さんという人が一緒に研究会をつくろうと言ったのです。
この人は安重根のことを本にも書いているのですが、その研究会の記事が新聞に出たら、何人かの人が自分も入りたいと言ってきたのです。その中にいたのが、秦野章さんという人です。思い出しますよね。
―― 法務大臣で警視総監ですよね。
若宮 警視総監をやって、それから自民党の参議院議員になって、後に法務大臣もやりました。当時、自民党の参議院議員だった秦野章さんが、自分も加えてくれと言って、非常に関心を持ち、韓国にも行って、安重根記念館にすぐ行ったりもしているのです。
ちょうど歴史教科書の問題が紛糾した頃なのですが、この人が参議院の文教委員会で質問に立ち、「安重根は立派だ」という演説のようなことをしているのです。
例えば、「安重根は、何と言っても、韓国民族の独立のために命を捨てたのだ。韓国にとっては最高の烈士であり、英雄なのだ」と言ったり、また、「伊藤博文は、日本では非常に優れた総理大臣だったし、日本の近代化にはなくてはならない人だった。この人も偉い人だ。しかし、同時に安重根も見事な人物だったというように評価しなければ、歴史を公平に見ることはできない」というようなことを言ったのです。
そして、「だから、伊藤博文は単に韓国青年のテロに倒れたとか、殺人犯・安重根というような考え方で今まできたけれど、それだけではもう駄目だ。もう少し深く心を通わせないと、日韓の友好などは実現できない」というように述べたのですね。
これが警視総監のOBですよ。この発言を受けて、小川平二さんという文部大臣が、「いや、まことにごもっともで肝に銘じます」というようなことも言っています。そして、間もなくこの秦野さんが法務大臣になったのです。法務大臣になる直前に、安重根をたたえていた、ということです。
菅さんには菅さんの今の言い分はあるのでしょうけれども、私は、このような懐の深さも保守政治の中にあったということは、思い出した方がいいかなと思います。この秦野さんの発言は参議院の議事録を見ると出てきます。
―― 秦野章、大したものですね。
若宮 伊藤博文は偉いけれども、韓国にとっては大変迷惑な人物だったということですね。
●岸信介が韓国に送った特使と「伊藤の過ち」
若宮 また、実は、この秦野さんの演説のだいぶ前、安倍晋三首相のおじいさんの岸信介さんが総理大臣の頃ですが、当時は韓国の李承晩大統領が反日で、まだ国交もなくて日韓の交渉がなかなかできないという状況でした。その時代に、なんと岸さんが、非常に親しかった矢次一夫さんという、少し得体のしれない裏人脈で動いた人を自分の個人特使として韓国に送って、伊藤博文の過ちを謝りたいと言って、...