●14年間言い続けた「己の損得を超えろ」
松下政経塾では14年間、いろいろ言ってきましたけれども、集約していえば、私が言いたかったことは、ただこの一言だったのではないかと思うのです。
「己の損得を超えろ」
特に政治家は自分の選挙のためなら侃侃(かんかん)なのです。あるいは、自分の出世のためなら人を蹴落とすことも平気でやります。ですから、私は政治家に向かっては「己の損得を超えろ」と言うのです。せめて政経塾の卒業生は、日本のこと、地域のことを本当に真剣に考えなければいけない。そういう意味において「己の損得を超えろ」ということを大変やかましく教えてきました。私はこの一言だけを言い続けてきたように思います。そして、もっと大きな損得を考えられる人間になれ、ということを言い続けてきました。
その私に、松下電器産業株式会社(現パナソニック株式会社、以下「松下電器」)の本社に帰って来いという命令が下ったのは平成8年のことでした。「君ももう14年にもなるし、いつまでも松下電器の社員が政経塾を運営しているのもよくないだろう」ということで、本社に転勤の命令が下ったのです。
同期入社の面々が集まってきて、皆こう言いました。「お前、本社に帰るのか。運がいいな」。なぜ運がいいのか、聞いたところ、当時、昭和39年入社までが重役になっており、今年はわれわれ昭和40年入社組が重役になる時だというのです。そういうタイミングで外から帰ってくるのが一番有利だと言われました。事実、私の前任の塾頭も松下電器の本社に帰って、重役になりました。「お前、出世競争の先頭に立ったな」と言われ、思わずぐらっと来ました。松下電器に入った限り重役になるのも悪くないな、と思ったのは事実です。けれども、次の瞬間にはっと気が付いたのです。
私が14年間言い続けてきたことは何だったのだろう。
「己の損得を超えろ」
「自分の出世ばかり考えるな」
あれほど偉そうに、あれほど立派なことを言い続けてきた私が、自分のことになると、さっさと松下電器に帰って出世競争に目の色を変えている。これでは申し開きが立たんな、と思いました。「何を偉そうなことを言っているんだ。自分を見てみろよ。出世競争に目の色を変えているやないか。何だ、あれは口だけか。何だ、あれは立場上、言っていただけか」と思われたのでは、私の14年間が無駄になる。その時しみじみと感じたことがあります。
●「本気」の一文字に人生を懸けた
人の上に立つ人にとって、一番恥ずかしいことは、言っていることとやっていることが違うことです。それは大変恥ずかしいことだと気が付きました。立派なことは誰でも言えるのです。偉そうなことは誰でも言えるのです。けれども、われわれの部下も世間の人も、絶対に、言葉をもってその人のことを信頼してはいないのです。どこを見ているか。言っていることとやっていることの間を見ているのです。
そして、人に求める限り、自らも限りなくやろうと努力している人は、やはりそこに権威というものが生まれてくるのです。その時にしみじみ思いました。「言葉に対する責任」。これは私の人生の最大の正念場でした。私はこの言葉に人生を懸けようと思ったのです。
「あいつ、本気やったんやな」
「本気」の一文字に人生を懸けようということで、松下電器を辞めようと思ったのです。
●決断が条件をそろえていく
松下政経塾の人は全員、勉強するときには奨学金として松下幸之助からもらったお金を使えますが、選挙のときにはびた一文出してもらえません。松下グループからは一切援助はありません。裸一貫、自分で這い上がることが大原則なのです。自分もまた裸一貫で這い上がる生き方をしないと、自分の言葉に対する責任が取れない。ということで、私は松下電器を辞めようと決心したのです。正念場でした。
すると、また同期が集まってくるのです。「辞めるらしいな。お前いくつや?」と言うのです。「54歳6カ月」と答えたら、皆が言うわけです。「ばかだな、お前。会社を辞めるのは勝手やけど、54歳6カ月で辞めるばかがおるか。松下電器の制度を調べてみな。あらゆる老後の安定につながる制度は55歳から適用されるぞ」。ですから、帰って調べましたよ。中には法に触れるのではと思ってしまうような、すごい制度もありました。それは、退職金をその2分の1を限度に会社に預けておくと1割の利息が付く、という制度です。その制度も55歳から適用されました。今はなくなりましたが、同期に聞いてみたところ、それでもまだ5パーセントで残っているそうです。年金とは別に退職金の金利で食べていけるのです。健康保険も、55歳を過ぎてから辞めると松下電器の健康保険組合が面倒を見てくれます。「あらゆる老後...