●10年間、松下政経塾の中に住み込み勤務
改めまして、皆さん、こんばんは。私は、上甲と言います。よろしくお願いします。私は、松下政経塾の塾生ではなく、塾生を育てる方の立場でしたので、あらゆる意味において教育的責任を負っています。ですから、いろいろとご批判もあると思うのですが、その点は横に置きまして、今日は、私自身が経験し考えたことを自分の言葉でお話ししたいと思っていますので、よろしくお願いします。
今から考えると、私は、松下幸之助の晩年の10年間に仕えるという、非常に得難い機会を頂きました。当時、松下幸之助は、政経塾の塾長であり、理事長でした。私は、現場の責任者である塾頭で、学校でいえば、校長先生のような立場でした。
その時に、彼は嫌なことを言うのです。「君な、君が本当に人を育てようという気持ちがあるんやったらな、24時間365日、塾生と共に生活をする覚悟が、教える君になかったら人なんか育たんぞ」。要するに、教える側がサラリーマン根性では、人は育たない。24時間365日、共に生活をする覚悟が私になかったら、人は育たんぞ、と言ったのです。
私は、その一言を聞いた瞬間、たまらんな、と思いました。私が松下電器産業株式会社(現パナソニック株式会社、以下「松下電器」)に入った最大の動機は、完全週休2日制の魅力だったからです。私が入社した年から完全週休2日制になりましたが、昭和40年ごろに、完全週休2日制などという会社は他になかったのです。話があちこちそれますけれど、「物事やるときはな、常に他に先駆けてというものがなければ、やる値打ちはないんや。あそこも週休2日か。ここも週休2日か。いつまでもうちだけ週休1日というわけにはいかんなと言って、やることは失敗する」と、松下幸之助が言うのです。ですから、やるときは何でも他に先駆けてというものがなかったらいかん、ということで、松下電器は、昭和40年から完全週休2日制になりました。
私は、その魅力で入ったのです。その会社で、「24時間365日共に生活せい」というのは、たまらんと思いましたけれども、私は安心していました。相手は90近い年寄りです。そのうち忘れるだろうと思っていました。しかし、年寄りが頑固だということをすっかり忘れていたのです。会うたびに「覚悟できたか」と言うのです。結果的には、断りきれなくなり、10年間、茅ヶ崎の湘南海岸にある松下政経塾の中に住み込み勤務をしました。家族ともども住み込み勤務です。
これで人生は変わりました。住み込み勤務は大変です。もちろん、いい点もあります。住み込み勤務の一番いい点は、初めから出勤しているので、遅刻がないことです。一番困るのは、気分転換ができないことです。普通、職場から、「じゃあ、失礼します」と一歩外へ出た瞬間に、職場の人間関係と仕事から解放されます。その後、銀座で1杯飲んでぐっすり寝れば、それでまた気持ちを切り替えられるわけですが、ずっと同じ屋根の下に住んでいるので、その切り替えができないのです。いいときはいいのです。こじれてくると、その苦しみが何倍にもなるのです。まして、政経塾の人は、動物園にいる動物のような人ばかりですから、私にも、本当に気の休まらないときがありました。
そうして10年間で自分の人生は変わったなと、実は感じていたりもします。
そういうことを通じて、私は、松下幸之助という人にずいぶんと影響を受けましたし、また、その謦咳(けいがい)に接したのも、ある意味では、自分の人生の大きな財産だなと思っています。
●年を取ると真理が見えてくる
その松下幸之助の本を、最近また読み返しているのですが、すごく新鮮に見えるのです。と同時に、すごく分かる気がするのです。最初は、「俺もいよいよ幸之助の域に達してきたかな」と思わないことはなかったのですが、そういうことではなかったのです。私が入社した時の松下幸之助の年齢がちょうど私の今の年齢と一緒でした。私は今、73歳です。松下幸之助も、私が入社した時に70歳を少し超えたところだったのです。
70歳の人が言っていることは、20代の若者には本当に理解できないのです。言葉は分かります。けれども、70歳の人が言っているその真意というものは、やはり20代の青年にはなかなか分からないのです。ですから、私も松下幸之助の話を聞きながら、何か禅問答のような話で、よく分からないということもいっぱいあったのです。例えば、「経営というものはな、任せて任せず、じゃ」と言うのです。今はその意味がすごく分かります。「君に任せたぞ」と言ったときに、任せていいことと任せてはいけないことをぐっとつかんでいるというのは、まさに経営の勘所なのです。20代の青年には、それが分からないのです。「そんな...