●三河武士から42歳で出家に転じた鈴木正三
今回は、(仏教から茶道や華道への流れ)がどのように思想哲学になってきたのかについてです。そこに登場するのが鈴木正三(しょうさん)という人物で、大分(時代的に)石田梅岩に近くなってきます。三河恩顧の武士で、家康の配下として全ての戦いに出向いたという猛将ですから、非常に力強い人です。
鈴木正三も、いってみれば道元の流れに入る人で、42歳という遅い時期に出家して、道元禅師の教えを体得していきます。これまでは人を斬ってきたが、これからはそうではなく人を助けるほうへ回りたいというのが42歳で出家した動機でした。正三の弟も立派な人で、代官として務め、名代官として鈴木神社という神社ができるほどでした。
この人がまだ出家する前に書いたのが『盲安杖』です。目が不自由な人を「盲」といいますが、(ここでは)目が開いていながら心が開いていない人間を指しています。そういう人が安心して世の中を歩ける杖のように、と鈴木正三が仏法の立場からの心の持ちようを説いて10項目にまとめたものです。
(この作品は)鈴木正三哲学思想の最初をなすものですが、この『盲安杖』が何を説いているのかということで、十の重要なことをここに挙げておきました。人間としてこういう心を持てということを、とてもコンパクトにまとめて書いてあります。ただし、今日はここがポイントではなく、次の書物が非常に重要です。
●『万民徳用』から「武士日用」を読む
これは『万民徳用』というもので、四民(士農工商)の全てに独自の注意すべきものがあるという観点から、武士は武士、それから農工商についても非常に綿密に要点を書いてくれています。まず、ここから「武士日用」を読んでみたいと思います。
「武士問云(とうていわく)、『佛(仏)法世法、車の両輪のごとしといへり』」。
ここで(説かれる)「佛法即世法、世法即佛法」ということばは、この後も江戸が終わるまで、ずっと常識になります。「世法」というのは世間の規範であり、大人として、あるいは常識としてやってはいけないこと(を弁えるの)が世法ですが、それは佛法からきているのだということで「佛法即世法、世法即佛法」といいます。
これらは車の両輪であり、どちらが欠けて...