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無料で開講した石田梅岩、師・小栗了雲から学んだ「無心」

石田梅岩の心学に学ぶ(3)神道布教の志と「無心」

田口佳史
東洋思想研究家
概要・テキスト
石田梅岩は20代の頃、二度目となる奉公に出るとともに勉学にも力を入れていく。それを支えたのは、当時京都で隆盛だった吉田神道(唯一神道)をさらに普及させようという志だった。やがて8代将軍・徳川吉宗の世となり、40代を迎えた梅岩は碩学の師・小栗了雲のもとで独自の思想を樹立する。彼が講席を開くのは1729年、45歳の頃だった。(全9話中第3話)
時間:12:36
収録日:2022/06/28
追加日:2024/04/22
キーワード:
≪全文≫

●神道布教のため再度奉公に出た梅岩


 (石田梅岩は)23歳の時に、もう一度奉公に出ます。23歳で奉公に出るということは、もう丁稚小僧として出るのは不可能ですから、手代や番頭の見習いとして出ていくということです。

 現に23歳の梅岩は、黒柳家という大店(西陣の機屋〈はたや〉だったという説もあります)にいくわけですが、彼には神道の普及という目的もありました。神道の普及を志していたというのは、かなり自信があったということでしょう。

 当時の神道といえば、どういうものが浮かぶでしょう。特に(彼の実家は)京都に近いわけですから、京都といえばご承知の吉田神道。(その創始者である)吉田兼倶(かねとも)はとんでもない人物で、現代のわれわれには及びもつかないような、大きなスケールの人物でした。簡単にいってしまうと、自分の生まれ育った吉田家を神道の第一級のトップに据えてしまおうという野心と、相応の頭脳があいまった彼は生涯、「これでもか」「これでもか」というように、吉田神道の権威づけを徹底しました。最後には、全国の禰宜(神道の神主)に権限を与える役目を吉田神道が担うような大御所になってしまう。それほどすごい人物が室町の頃に出てきて、吉田神道をグッと持ち上げたわけです。

 これは「唯一神道」といって、伊勢神道などのいろいろな神道がある中で、「吉田神道こそ日本唯一の神道である」と公言してはばからないようなすごい人間でした。この吉田兼倶に対する研究も進んでいますので、機会を見てまたお話を申し上げたいと思います。

 ともあれ、彼のようなとても面白い人物が出てきたために、当時は吉田神道が非常に勢力を伸ばした時期でした。吉田神道には特有の「大祓(おおはらえ)」があります。神道は「災厄を祓う」(役目)を負っていったわけです。


●勉強に打ち込んだ梅岩と小栗了雲の出会い


 梅岩はそういう神道布教をしたかっただけに、しょっちゅう懐に書物を入れていました。早朝は早く起床して、月明かりの下で(書物を)見ているうちにだんだん月がなくなり、朝日に変わっていく。(月)明かりが変わるほどの早朝から勉強し、夜は全員が就寝後、一人月明かりでまた書物を読むということを繰り返すうちに、24~25歳から27歳頃にはノイローゼになってしまいます...
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