●外来文化によってむしろ強化された日本の神信仰
しかし、いくら何でも外来文化が入ってきてしまえば、そういうもの(日本文化の根本)も薄れるんじゃないのか。外国人からよく指摘されるものなんだけど、「いや、そうじゃないんだよ。もっと強化されたんだ」と答えると、みんな、「えっ、ほんと?」と言います。強化されたのはなぜなのかというところへ話を進めていくと、日本というもののあらわな体質というものがよく見えてくるんです。
まず、外来文化というものを少し説明すると、513年に五経博士、段楊爾(だんように)という人が儒家の思想を持ってくるんです。だから、儒家の思想というものは仏教伝来よりも25年ぐらい早かったんですね。そのもっと前に道家の思想、すなわち老荘思想が入ってきたと言われているけど、これははっきりしない。でも、前に入ってきたということは確かです。そして、皆さんご存じの、538年が仏教伝来です。ですから、513年から538年までのこの間に外来文化が日本へ入ってきたわけです。
●冠位十二階と儒教の思想「仁礼信義智」
ではそうした外来文化をどのようにわれわれの先祖は受け取ったのか。その最大のものが冠位十二階です。冠位といえば、要するに国を司っている役人のポジションを決定するという、非常に国を象徴する部分です。その冠位に早くも儒教の仁義礼智信が採り入れられているということで、そういうものは注目したほうがいいと思うんです。
すごく面白いのは、その順番です。これはあまり強調されて伝わっていないので「冠位十二階? 仁義礼智信のことね」といって流されてしまいがちですが、実は一番高いポジションが徳で、続いて仁義礼智信かというと、そうではないんです。そこが面白いところなので、徳の次は仁、ここまではいいです。その次は、礼信義智の順番なんです。
これは何なのか。ということで、よく調べてみたら、いろんな説があるんですね。けれども、次に挙げる説が有力ではないかと。十二階について、今六つ挙げたわけですが、上下に分かれていますから、十二階になります。ではなぜ仁義礼智信じゃなくて、仁礼信義智なのか。
私が考えたのが、当時、日本の国に足りないもの、重視すべきものと聖徳太子が思ったものから並べたのではないかということです。そうすると、まず仁が大切で、その次に礼を持ってきた。ということは、礼が足らない国だったんじゃないかと。次が信。信頼関係がまだ成り立っていないから、信を大切にしようと。それから義。それぞれの役割を重視して、筋道を立てて、しっかりやるということです。続いて智。日本人は十分、智に勝っているだろうと。ですから、そういう側面もあるからこの順番になったんじゃないかと私は思ったのです。
●五行思想を冠位に当てはめる
実は、ここに五星というものが加わります。五星とは木火土金水(もっかどごんすい)、つまり木星、火星、土星、金星、水星のことで、今の言葉でいう、「五行(ごぎょう)」ですね。五行が大きく作用しているということが分かってきた。つまり木火土金水を仁義礼智信に当てはめて、並べ替えると仁礼信義智になるんです。
そうか、五行というものがそこまで承知されているのか。そういう国家だったんだなと。そういう深い意味合いというものが冠位の順番を決定するところに関わっている。そこまで理解されていたんだなということが非常によく分かりました。
そういう意味で、五行にはそれぞれ色が付いていて。ちゃんと活用されています。例えば、ある位の人間にはこの衣服、その色は冠の色で、徳は紫、仁は青、礼は赤、信は黄色、義は白、智は黒ということです。これは五行の色なんです。
●日本古来の神信仰と外来宗教、思想の関わり
ここで、まとめを少し申し上げます。神信仰といっているけれども、神道でいいでしょう。そもそもその神道があり、そこに道家(老荘思想)が入ってきた。これはどういう作用があったかというと、神道という土俗的信仰に、老荘思想が持っている宇宙大の論理(宇宙はどういうものかということ)を加味するのに非常に役立ったということです。神道は道家の思想(「タオイズム」ともいう)から得たものを吸って、非常に宇宙大の広がりを持った。そういうところがあるのです。
それから、神道があったところに儒教が入ってきた。これはどういうことかというと、政治的な手法とか、政策立案のヒントとして理法など非常に学んだんじゃないかと思います。
また、今度は仏教が今入ってくる。仏教は生と死の区分を非常に明確にして、死後の救済に力を持つということで、非常に重要であった。つまり、それは死んだ後も保障しますよという、すごい政治ですよね。そういうものが仏教で成り立っていくということです。
そして、...