●「商人日用」で売買の心得を知る
それでは次に「商人日用」(です)。
「商人問云(とうていわく)、『たまたま人界に生を受くるといへども、つたなき賣買の業をなし』」、私は人の世界に生を受けた者、いわゆる人間ですが、なにしろ売り買いの業をやってきたので、「得利を思念(おもうねん)」、なんとか儲けなければいけないということを、休むときなく思っています。(これでは)「菩提にすすむ事かなわず」、仏の前に出て祈りを捧げるなどということはない。これこそ無念の至り。なんとかこういう人間が助かる方便はありませんでしょうか、と商人が言った。
それに対して鈴木正三が、「賣買をせん人は、先得利の益(ます)べき心づかひを修行すべし」と(答える)。売買をする人は、まず得利(利益を得ること)をもっと追求するための心遣いをコントロールできるようにするのが基本ですよ、と言う。
その心遣いというのは他のことではない。「身命」すなわち身体と命を「天道に抛(なげうっ)て、一筋に正直の道を学ぶ」べきである。売買だけで終わる人間ではなく、仏の領域まで入っていけるかいけないかは、得利(利を増やそう)の心をどう修行してコントロールできるかというところにあるからである。
「心づかひと云は他の事」にない。そのときに持たなければいけない心は、身命を賭し、天道になげうって、自分が商売しているのも天に代わってやっているのだと思う心。「一筋に正直」の道が天道の道で、「正直の人には諸天のめぐみ」深く、「佛陀神明の加護有て、災難をのぞき、自然に福をまし、衆人愛敬、不淺して万事心にかなうべし」ということになる。
正直一筋に、正直、正直という正直の人には「諸天のめぐみふかく、仏陀神明の加護」があるので災難は省かれ、自然に幸いというものが起こってくる。そうすると多くの人があなたのことを尊敬し、愛するようになる。万事そういうふうになるということを絶対に忘れてはいけません。
●私欲を捨て、天道に沿う商売を行う
「私欲を専(もっぱら)として、自他を隔」て、つまり私欲というものをどんどん大きくして、もっと儲けよう儲けようとするのが「自他分離」です。相手あるいは他の人はどうでもいい。自分だけが儲ければいいと考え、他の人の苦労を思いやらず、自分さえよければいいというふ...