●道徳を可視化するための分類を作る
ここでいよいよ道徳の可視化という問題に入っていきます。ではどのように議論するかですが、今までどちらかというとまるごと「道徳は」とか、まるごとまとめて「幸福は」という議論が非常に多かったと思います。古典的な著作も、そういうものが非常に多いのですが、これでは多分議論が進まないだろうと思っています。
実は道徳にも幾つかの段階があって、それぞれに違う要素が入っています。そう考えたときに道徳というのは、今までどちらかというと禁止命令としてばかり捉えられていました。こういうことしてはいけません、ああいうことしてはいけません、と言って、本当に禁欲的なお坊さんみたいな人しか、最高レベルには到達できないような捉え方をされてきたのです。
しかしながら私たちは、それはちょっとおかしいのではないかと思いました。実は道徳も、道徳感情も原動力は欲ではないか、欲と道徳を二元的に相反するものとして捉えるのではなくて、道徳感情にも欲が原動力としてある、欲に段階があれば、道徳もその欲の段階に応じて分類できる。このように考え方を変えてみました。
●マズローの欲求五段階説は非論理的な分類である
そこで、マズローの欲求五段階説をまず見てみました。これは非常に有名なものですし、皆さんもよく知っているだろうということで、見てみました。そうすると、このように5段階に分けています。彼はモチベーション、動機を基準にして分けているのですが、よく見るとこの安全欲求と生理的欲求は、動機が似ていて冗長なのです。われわれは、これは統一すべきだと考えます。それから承認欲求、所属と愛欲求も動機が似ていて冗長なのではないか、これも1つにした方がいいのではないか、と判断しました。
その一方で自己実現欲求という最高レベルの欲求については、とても悩みました。なぜなら最近、宗教原理主義者による自爆テロなどがあるからです。狂信的な人で、このような純粋な動機を持って自爆テロをしている人がいます。そうするとそういう人たちが、本当の聖人みたいな人と同じところに入ってしまうわけです。彼らも自己実現欲求なのですが、これはおかしいだろうと思います。これを分けないのはおかしいのではないかということで、これは分類が不足しているということになります。論理的思考でいうと、これはMECE(「相互に排他的な項目」による「完全集合体」)ではないということです。必要十分な分類ではないということで、この分類を基に新しい分類を提唱しました。
●欲と道徳を結び付けた4段階の分類
これが新しい欲と道徳の分類になります。1番目は個人で完結する欲になります。これに対応するのが道徳次元の1です。動機は個人の快苦ということになります。これはマズローでいう、下の2段階で、食欲とか性欲、睡眠欲、生存欲といったものになります。
第2は仲間との関係で生まれる欲です。これに対応するのが道徳次元2ではないでしょうか。動機は仲間からの信用や評価となります。地位欲や名誉欲、金銭欲といったものです。ただ、まだ利己性の残る個人には、社会や仲間と少し対立要素があります。
さらにこれが成熟してくると、個人と仲間が一体化することで生まれる欲が生じる、これを道徳次元3とします。これは個人と仲間、そのつくる社会が一体化しているので、動機はある特定の社会の維持ということになります。この段階になると、本当の意味での利他であるとか、自己犠牲ができるようになります。ただし、ある特定の社会の中ということになるので、例えば純粋な動機の自爆テロ犯もここに入ってしまうわけです。
4番目、これは新しく提唱します。社会間の共通性を認識して特定の社会のバックグラウンドを超えようとする欲です。これを道徳次元の4と名付けました。動機は何かということですが、これは異質・未知なものへの好奇心だと思います。人間がやってきた科学の活動を見ても分かりますが、これはわれわれが誰でも持っている、あるいは持っていたものだと思います。異質・未知なものへの好奇心の段階になって、初めて人類愛であるとか慈悲であるとか、悟り、オープンイノベーションといったものへの欲が生まれてくると考えています。
●道徳次元とは共感の範囲で分かれる
これを別の絵で表すと、道徳次元1は利己でありいわゆる道徳はありません。欲は個人の中に閉じていて、個人の壁の中にあるということになります。他人のことを意識するようになると、道徳次元2になり評判とか信用が動機となります。ただし、まだ利己性の残る個人と社会は対立しています。まだ個人と社会の間には壁がありま...