●人間以外の動物にもLGBTは存在するのか
他の動物ではどうなっているかというと、他の動物でLGBTがいるのかどうかの判断はなかなか難しいのです。私たちは野生動物の研究をしていましたが、どうもそうではないかと思われるものは、私たちが短い時間、少ない数の個体を見ている限りではあまり見つかりませんでした。
ただし、ゴリラをずっと研究されていた京都大学前総長の山極壽一先生は、雄・雄同士でずっとカップルになっている様子を見ています。ただ、繁殖のチャンスがないときに、雄・雄同士が一緒になることは他の動物でもありますが、繁殖のチャンスが実際に目の前に訪れたら、普通はパッと解消して雄・雌同士になります。
一方、山極先生が見たゴリラは、繁殖のチャンスがやってきても、ずっと雄・雄で一緒にいたということです。つまり、そういうことがゴリラの中で観察されていたので、そこでは(LGBTということが)起こっていたのかもしれません。
しかし、そういうことがたくさん報告されるほど、私たちはたくさんの動物を相手にして観察しているわけではないですし、野生動物で長く研究するところも少ないのです。人間でも、100人見ていたら一人出るか出ないか、1000人見ていたら一人か二人ということだと、私たちは1000匹(頭)ものチンパンジーやゴリラを見ていないので、(チンパンジーやゴリラにLGBTがいるのかどうか)分からないかもしれません。
●多様な性が心地よく生きられる社会にするべき
前回お話ししたように、雄と雌どちらかにならないという性の不一致が起こるということは広がりませんが、それは必ず発生します。つまり広がらないゆえに、人間の社会では常にマイノリティです。差別されたといいますか、その存在が認められずに隠されたりしてきました。特に人間の世界で権力の継承において、必ず自分の子どもを継がせることがとても大事です。そのため、そこに関わらないような存在はずっと見ないことにされたり、いないことにされたり、消されたりしてきました。
世界の多くの文化の中で、LGBTは隠されているか、ないことになっているか、いずれにしても実際にずっと抑圧され続けてきたのです。
しかし、今ではこういう知識がわれわれの手に入りました。そして、その人たちがただ勝手にヘンなことをしているわけではないことが分かりました。これだけ複雑なメカニズムなので、いつでもそういうことはあり得ることが分かりました。
そのことが昔は全然分かっていませんでした。今でも全貌が分かったわけではありません。それほどまでに難しく、大変なメカニズムであることを知った私たちは、違うことを考えなければいけません。
知識社会とか知識基盤社会という言葉があります。今は知識を力にいろいろと社会を変えていこうということで、知識が重要になった知識基盤社会ですから、こういう知識は皆さんが共有して、ただのヘンな話ということでは終わらせないようにしたいと思います。
しかも、今は人権ということで、人に対してどう配慮するか、いろいろな差別をどうやってなくすかを、きちんと考えなければいけない世の中になりました。昔はいろいろな権力を使って競争して、勝った人が奥さんをたくさん持つというようなことをやっていた時代もありました。その時代は、人権の考えもなければ、基本的に権利をどうするかを考えない社会でした。
そこではヘンな人ということで一括りにして見ないことにできましたが、今はそうではありません。知識があり、人にきちんと配慮することが大事だという認識になった社会です。だとしたら、そこで私たちは、これをどう考えなければいけないのかを議論して、考え直して、その人たちがきちんと心地よく生活できる、生きられるようにするべきではないかと思います。
●古い価値観でできている道徳は考え直したほうが良い、
道徳・不道徳も、誰のために、どういうときに、どういう理由で作られた道徳なのかを考え直すべきです。
多くの道徳は、古い時代の価値観でできています。古い時代とはどんな時代かといったら、家を継ぐことが大事な時代、集団間の闘争の激しい時代です。戦争がある、あるいは(負けたら)家が潰れるなど、集団間の闘争が激しいときは、どうしても子どもを残して次を継いでもらわないといけません。そうしないと、競争に勝てませんでした。そういうときに、きちんと子どもを残しましょうというのが、道徳の一部に取り入れられていきました。でも今はそうではありません。そうではなく、そのことに関する知識があって、人権についての考え方も分かってきた時代ですから、考え直したほうが良いの...