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私たちにはなぜ〈神〉が必要だったのか…脳の働きで考える

進化生物学から見た「宗教の起源」(3)集団の種類・サイズと宗教の関係

長谷川眞理子
日本芸術文化振興会理事長/元総合研究大学院大学長
情報・テキスト
『宗教の起源――私たちにはなぜ〈神〉が必要だったのか』(ロビン・ダンバー著・長谷川眞理子解説・小田哲翻訳、白揚社)
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宗教の起源をめぐる研究の中に、「高みから道徳を説く神」など6つの要素について分析したものがある。人間の営みが狩猟採集中心の社会から「農耕・牧畜・定住・階層」社会へ変化すると、宗教にも大きな変化が訪れる。集団のサイズがダンバーの考えたヒトの脳の限界“150人”を超え、お互いの声が届かなくなったことで「高みから道徳を説く神」が必要になったというのだ。そこで最終話の今回は、宗教集団と世俗的集団それぞれのサイズの限界とあり方、宗教による内集団の結束などの解説を進めながら、進化から見た宗教の心的基盤に迫る。(全3話中第3話)
時間:14:22
収録日:2023/12/20
追加日:2024/02/13
キーワード:
≪全文≫

●農耕・牧畜・定住・階層社会と「高みから道徳を説く神」


 先ほど(前回)お話ししたように、宗教の起源を探るとアニミズムが一番古く、シャーマニズム、祖先崇拝、死後の世界への信仰、特定の場所に何か神様がいるという信仰、それから“お前たちはこうしないとならないのだ”というように「高みから道徳を説く神」など、そういう6つの要素が33の部族社会にどのように分布しているかという研究があります。Peoples and Marrowなどによる研究です。

 研究によるとアニミズムが一番古く、死後の世界への信仰やシャーマニズム、祖先崇拝は、アニミズムより後で急速に、また一緒に進化してきたようだということです。

 一方、「高みから道徳を説く神」というのは、狩猟採集社会には存在しません。狩猟採集社会では、みんなで「何をしてはいけない」「何をしたらいい」ということが普段の生活の中で自然に出てくるので、「これは絶対にしてはいけないと神様が言っています」というようなものはないのです。

 それが出てきたのは、どうも「農耕・牧畜・定住・階層社会」になってからのようです。農耕・牧畜などで定住すると、財産ができて階層もできている。みんなで一緒に働かなければいけないのに、ズルをする人がいる。しかし、小さい社会ではないので、お互いに顔見知りで「駄目ですよ」というような声はもう届かない。

 そういうときに、ズルをしたり悪いことをしたりする人を、全体が共有する概念として、偉い神様が「それはいけない」と言っているというようにする。つまり、「ズルをするフリーライダーを、特に何とかしなければいけない」という問題に対処する必要から、「高みから道徳を説く神」の存在が出てきたのではないかと、彼は分析しています。私もそうだと思います。

 大集団で共同作業をするというのは、狩猟採集社会ではあまりなかったことです。「牧畜・定住・文明」を行うということは大集団がやらなければいけなくて、そういう集団をうまく回すためには非常に強い道徳や倫理が必要になったわけです。

 そこで、偉い神様による宗教的説明で、「やっていいことと、いけないこと」をきちんと言うことが必然的に大事になったのではないでしょうか。

 なので、道徳や価値を説く道徳的な価値体系というものは、もちろん宗教などがなくてもあるのですが、特に「高みから道徳を説く神様」を必要とするような大きな社会が出てきたのではないかということです。

 そこで「十戒」などというものが、やっていいことと悪いことの選定をしていて、これをしてはいけない、あれをしてはいけないといろいろ決めるわけです。別に十戒だけが時代遅れだというわけではありませんが、その内容というものは結局、その頃の人々が社会生活で経験的に身につけた処方箋の集大成なので、やはりその時代の社会の常識を完全に抜けるわけにはいかないのです。

 そのため、「殺してはいけない」とはいうけれど、「外集団のあいつらは殺してもいい」とか、「女の人は地位が低いのだ」とかというようなことが組み込まれているような戒律などもあります。そこが、その(当時の)社会の常識になる。

 その中でも単にみなが「それをしてはいけない」というコンセンサスだけでは動けなくなった大きな社会では、「神様の命令ですよ」という「高みから道徳を説く神」が必要になったのではないかということです。


●宗教集団と世俗的集団、そのサイズの限界とあり方


 さて、次にダンバーの「150人」ですが、その限界を超えて、どうやって宗教が大きな文明の世界を作れたかということです。逆に、宗教というものをメンタライジングの5次までができる人間が持つことができたので、150人以上の大きなまとまりで文明ができてきた。

 このように説明は循環しますけれど、毎日の生活の中で団体を持っていたら、150人という限界もやはりあるのではないか。それは、人がそれほど苦労せずに親密な関係を保てる人数は、この(脳の)新皮質から考えると150人程度が限度だからであり、それ以上になると、親密というものはちょっと変わってくるし、苦労せずに関係を保つわけにはいかなくなる。

 ダンバーは、それをまた分解して、「5人はとても仲良し、15人は仲良し、150人はよく知っている」、そしてそれ以上というように階層的な構造があるのではないかと分析しています。

 狩猟採集民が普通一緒にいるのは30人から50人くらいで、共同体や氏族は150人くらいが限度です。が、同じ宗教、同じ言葉、同じ習慣などでまとまれるのは「メガバンド」として500人...
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