●「いいな」「好きだ」と思う瞬間にヒントがある
―― 冒頭でも申し上げたように、「何をやったらいいのだろう」という迷いの中にいるというケースも多いと思うのです。そこで非常に参考になる言葉を為末さんが書いていらっしゃいます。例えば、「自分をもっと知るために、『いいな』と思う瞬間を集めてみる」。これは、何をやっていいか分からないときにどうするかについてのヒントだと思うのです。これについて教えてください。
為末 社会に出てくると、「これはこんなふうに考えましょう」というように、いろいろなフレームワークがありますよね。例えば、山に登るとして、その山に登るためにはこんなルートがあって、こういう装備が必要で、仲間はこんな人たちが必要だとか、そういうことを考えて登っていくわけです。この山に登るというプロセスはいくらでも合理的にできるし、いろいろなものも持ってくることができる。でも、一番肝心な「なぜこの山に登りたいのか」というところは、説明がつかないのです。
だから、私は人生で一番説明がつかないものは、「好き」という気持ちとか、「私はこれがいい」と思うことだと思うのです。これを理屈で考えようとしてしまうと、全然到達できない。だから、人生を振り返ってみて、本当にちっぽけな「いいな」と思ったり、「好きだ」と思う瞬間があって、そこにヒントがあると思ったのです。
よく観察していると、「好きなことは何?」と聞かれたときに、大げさに考えすぎている人は、そのヒントを見つけにくいと思うのです。雷に打たれたように、人生で進むべき道が見つかったり、「好き」に気づいたりするのではなく、例えば、会社に向かっていくときの道が好きなのか、帰りながらぶらぶらしている道が好きなのかとか、それくらいのレベルのところから、ヒントを探してみる。なんとなく引き締まる瞬間が好きか、それとも解放される瞬間が好きかとか、そんなことが分かってくると思うので、日常生活のレベルから見つけてくるのが、まずは大切だと思います。
―― いま、雷に打たれたようにというお話がありましたけど、そうやって気づく人はそんなにいないでしょうね。
為末 いないと思いますね。「好きなことを極めた人たちこそが、オリンピック選手だ」というイメージがありますが、みんなで飲み会をすると、「考えてみる...
(為末大著、日本図書センター)