●松下電器、松下政経塾、青年塾の人づくりの原点
前回、松下幸之助の「心に刻み込む勉強」について触れましたが、それに関連する松下幸之助の人づくりについてご紹介してみたいと思います。
昭和の初め頃、まだ松下電器産業株式会社(現パナソニック株式会社、以下「松下電器」)が中小企業に毛の生えた程度の規模だった頃の話であります。ある幹部が会合に出かけていきました。たまたま隣に座った人と名刺交換をして、「あなたは松下電器という会社にお勤めなんですか。ところで、松下電器とは何をつくっている会社ですか?」と聞かれたそうです。当然答えました「電気製品をつくる会社です」と。会社に帰ってそのことを社長に報告したのです。
事の次第を話すと、「そうか。君どう答えたんや?」と社長の幸之助が聞くので、「そりゃ社長、ちゃんと電気製品つくる会社と答えておきました」と報告したのですね。その幹部社員は報告しながら、社長はきっとこう言うだろうなと思ったと言いました。「そうか。うちはまだ会社の名前を聞いただけではピンと来てもらえんか。残念やな。会社の名前を聞いたらすぐ、何をつくっている会社か分かってもらえるように、これからしっかり頑張らないかんな」と、これぐらいは言われると思ったそうです。
しかし、幸之助の答えは全く違ったと言うのです。「なに? 君は松下電器は電気製品をつくる会社と答えた。その君の答えは、僕の考え方と違うな」と言ったのです。報告した人も、えっ? 他に何かつくっているかなと、思わず「社長、それはどういう意味ですか?」と聞きました。その時の答えは、まさに松下電器の人づくりの原点であり、松下政経塾の人づくりの原点であり、私がやっている青年塾の人づくりの原点であります。
●「松下電器は人間をつくる会社や」
「君な、知識も大事やで。新しいこともいろいろ知っている。難しいこともいっぱい知っている。いろいろと専門的なことも知っている。高度なことも知っている。知識ももちろん大事や。技術も大事や。あるいは資格を取るということも誠に大事だ。しかしな、知識も技術も資格も、全て人生の道具にしか過ぎんのや。どんな立派な道具をそろえても、それを使う本人が人間として立派になってこないからには、絶対にええ仕事はできんのや。松下電器は電気製品をつくる前に、人間をつくる会社や」と、こう言ったのですね。
それだけではなくて「君、言い直してこい」と言ったのです。彼は困ったと思いますよね。しかし、これは大変大事なポイントだと思うのです。
「彼は、東大を一番で出たんですわ。難しいこともよく知ってますわ。ただ人間的には本当に嫌な奴なんですよね」というような人物であったら、せっかく頑張った知識が生きてこないのです。「彼の英語を聞いたら、アメリカ人もびっくりするぐらいの達者な英語を喋るんですわ。ただ人間的には本当に信用ならないんですよ」と言われたら、せっかくの英語が喋れるという技術が、生きてこないのです。
知識や技術や資格を否定する訳ではないけれども、人間が一番大事にしなければいけないのは、自分自身の人間力を高めること。すなわち、自分自身の人間としての魅力を高めるという努力を根底に置かなければ、あらゆる知識や技術は生きてこないという幸之助の考えが現れているのが、その時のエピソードなのです。
●分かってからやるのではなく、やれば分かる
ですから、「松下政経塾は政治学の勉強はせんでいい。誰よりも朝早く起きて、身の回りの掃除をしっかりしろ。これが第一の勉強や」と言ったのです。そのために、私は10年以上苦労しました。塾生諸君はその気になれないからです。そのような雑用ばかりしていては、肝心の勉強時間がないと言うのです。今の受験教育を受けてきた人たち、受験エリートは、掃除をすることは雑用で、専門的高度な勉強をすることが勉強と思っているわけですから、幸之助が言う「まず知識の勉強よりも身のまわりをしっかり掃除することや」ということの意味が分からないのです。それをまた、私が理屈で説明しようとしたものですから、泥沼にはまっていったわけです。
「そんなことして、どんな意味があるんですか?」と、彼らは聞きます。意味が分かってやろうとするのです。だから物事が全部難しくなります。意味が分かってから物事をしようとするから、簡単なことが全部難しくなるのです。「そんなことをして、どんな意味があるんですか?」「意味を説明してください。意味が分かったらやります」という言い方をするのです。
今でしたら、私ははっきり言います。「分かってやるんじゃない。やれば分かるんだ」。分かってやろうとするから物事は難しくなるのであって、やれば分かる、と言えるのですが、当時は私もどう言ったらよいのか、分...