●岡部徹は東大工学部では極めて珍しい存在で、「レアメタルマフィア」である
大上 それでは、岡部先生の少しパーソナルなテーマに移りたいと思います。岡部先生は、3カ月に1回、産官学の人が100人以上も集まるレアメタル研究会を主宰されています。会合自体も充実していますが、その後で浴びるほどお酒が出て、皆飲みながら懇談されています。しかも、その会合には、ノルウェー人や中国人やトルコ人といった多国籍で多様な人々が参加しています。
それから、MIT(マサチューセッツ工科大学)の著名な教授でドナルド・サドウェイ博士という方がいらっしゃいます。岡部先生はこの方の番頭役もされていて、世界中の人を集めるサドウェイ教授のグローバル・ミーティングでは、あらゆる仕切りをなさっています。
こういう方は、僕の知る限りでは東大の教授の中にもほとんどいません。ましてや工学部の中では極めて珍しい存在です。だからこそ「レアメタルマフィア」だと私は思うのです。
そのような岡部先生の出自を伺っていきたいと思います。一体どうやって生まれたのですか。また、どうしてそうなられたのですか。
●京大熊野寮に「巣」を作った大学時代の4年間
岡部 皆さんは、私を東大の教授で、しかもレアメタルの専門家として見ていますが、実を言いますと私は、10年ちょっと前に東京にやって来るまで、東大とは縁もゆかりもない人間でした。
もともとは京都大学出身で、今、世の中で話題になっている熊野寮に4年間いました。家賃は当時300円でしたが、その家賃さえ払わないとんでもない学生として、スラムのような所に巣を作っていたのです。寮を仕切る執行部は中核派でしたが、私はノンポリとして、退寮勧告を何度も受けながら、楽しい4年間を過ごしました。
その結果、卒業するための単位が全く取れず、4年生になった時点でも、語学の単位がほとんどありませんでした。自分でも思っていましたが、周りからも「岡部は卒業できないだろう」と言われていました。そのような状況でしたが、一応理系で工学部の学生ですから、研究室への配属はありました。その時に配属された研究室が、工学部冶金学科の非鉄冶金・特殊金属精錬。非鉄=特殊金属は今でいうレアメタルで、特殊金属の精錬やリサイクルの研究室だったのです。
●レアメタルとチタン、生涯テーマとの出会い
大上 京大で、たまたまレアメタルにぶつかったということですか。
岡部 要するに、劣等生であった私には研究室を選ぶ権利も能力もなかったため、非鉄冶金・特殊金属精錬の研究室への配属は偶然でした。そして、今度はその中で卒業テーマを選ぶことになります。卒業研究のテーマ選びはくじ引きだったのですが、私は一番いいくじを引いたので、自分で選べることになりました。
当時は超伝導がブームの頃でしたから、超伝導物質として利用される酸化物に関係するレアメタルなどが、皆さんのやりたいテーマでした。でも、私のような出来の悪い学生が、皆が望む良いテーマを取ってはいけないだろうと考え、一番ノリのいい先輩と一緒に仕事ができればと、チタンをテーマとして選んだのです。
大上 人で選ばれたのですね。
岡部 はい。ドクターに入ってからは、レアアース(希土類)も一部手掛けるようになりましたが、それも本当に偶然ですね。
(補足:一般には、レアアースと言われている元素群は、学術分野では希土類と呼ばれている。メディアの影響で、現在は、両方の呼び方を使うようになった。)
●「面白さ」で研究室に入り浸り、レアメタル「おたく」へ
岡部 「レアメタルを長年やるとは、先見性があるね」と皆さんが言われるのは、私を東大の教授としてご覧になっているためで、実は全くの偶然です。一番出来の悪い学生が一番ノリのいい先輩が取り組んでいた研究テーマを選んだだけのことなのです。
大上 それが、どうしてここまでの成果につながったのでしょうか。
岡部 それは、実際に研究をやってみたら、(テーマそのものは)非常に重要であることも分かるし、面白くなったからです。したがって、熊野寮を卒業した後、今度は学生寮ではなく研究室に入り浸りになりました。
大上 熊野寮の代わりに研究室に入り浸り、マージャンの代わりに実験ですね。
岡部 まさにそうです。ひたすらチタンの精錬をしたり、イットリウムというレアアースの高純度化にも夢中になりました。あまりに面白かったものですから、ドクターコースに行って、チタン精錬でドクター(博士号)を取りました。他にはニオブやタンタルなど、要するにレアメタルの精錬ばかりをやっていました。当時からレアメタルの「おたく」になっていたのです。
●レアメタル修業を続けるため、退路を断ってMIT留学
岡部 その後、京大の教員...