●山田方谷に指導をした佐藤一斎
しからば、山田方谷を指導した人はいかなる人物で、どういう教育を施したのかが気になってくるわけです。そこで山田方谷を指導した佐藤一斎という人物を訪ねてみたいと思います。
佐藤一斎には、40代から80代まで書きつづった、およそ1133の文章からなる『言志四録』という書物があります。これは、西郷南洲(西郷隆盛)が沖永良部島へ流された時に持っていった書物で、沖永良部から帰って来た罪人はいない、死にに行け、という状況の中で、1133ある文章の中からこれは外せない、これこそが自分をしっかりした人物にするだろうというものを101ピックアップしてまとめたものが、『南洲手抄百一言志緑』です。佐藤一斎は、その大本を書いた人で、山田方谷をはじめ、佐久間象山、横井小楠など、いわばその後教師として多くの歴代の偉人・賢人を輩出する人間の師匠、要するに「教師の教師」として名を高めた人なのです。
●「立派な人間になる」と志を立てて学ぶ
その人が何と言っているのか、『言志四録』の中から見てみたいと思います。
まずこういうことを言っています。「凡そ学を為すの初は、必ず大人たらんと欲するの志を立てて」、つまり、学ぶ、あるいは、教育を受けるときの生徒の姿勢として何が最も重要なのかというと、立派な人間になるために自分は学ぶのだ、そう自分によく言い聞かせて学ぶことです。そして、書に接するときは、いつも必ず「大人たらんと欲するの志を立てて」いる、そういう人間が読むということで、「然る後に、書は読む可きなり」となります。
そして、こう続きます。「然らずして、徒らに聞見を貪るのみならば」、つまり、立派な人間になろうなどという確固とした志もないのに、多くの書物をむさぼるのは、「則ち或いは恐る、傲を長じ非を飾らんことを」、つまり、論弁や理屈ばかりが長けてきて、結局、言い逃れをする能力にしかならない、ということです。要するに、「おかしなところに使われて仕舞いだよ」と言っているわけです。やはり、学ぶ基本は、「必ず大人たらんと欲するの志を立てて、然る後に、書は読む可きなり」ということです。
ここには、それだけの人間を輩出した教師の教師としての佐藤一斎の教育論というべきものが出ているわけです。
●理性や人間性を尽くす者は「君師」だった
それから、もう一つ申し上げたいのは、「聡明英知にして、能く其の性を尽くす者は君師なり」です。聡明な人、英知の人、要するに、とても見識・学識があるとよくいわれる人は、「能く其の性を尽くす者」だということです。
この「性」ですが、以前に「天の命ずるを之れを性と謂ふ」(立教第一)というところで申し上げた理性や人間性のことで、そういった人間ならではの特性を尽くす者が「君師」でした。「君師」とは、主君と師匠(教師)の両方のことで、当時こういう言い方をしました。
「君の誥命は則ち師の教訓にして、二つ無きなり」とは、例えば、現代風にいえば、社長、あるいは、役員、部長が出す訓令は、教師としての教訓でなければいけない、ということです。つまり、そこに人間のあるべきようや、高い見地からの指示がなければ、君師としての命令とはいえず、お粗末なものだと言っているわけです。
「世の下るに迨(およ)びて、君師判る」とは、いってみれば、社長、あるいは、役員、部長という人と教師の役割が分かれてしまった、ということです。
「師道の立つは、君道の衰えたるなり」とは、要するに、役割が分かれて、教師の道が新たに立ったのは、世の中で位が上の人たちが教師としての役割を果たしてくれず、仕方がないから、そうなっているのだと言っているわけです。
そういう意味では、「君臣有りて師弟無し。師弟無きに非ず。君臣則ち師弟にして、必ずしも別に目を立てず」ということです。五倫の細目の中には、君臣の他に「父子親あり、君臣義あり、長幼序あり、朋友信あり、夫婦別あり」とあります。その中に君臣はあるけれども、師弟がないではないかと言われますが、君臣の中にすでに師弟というものが入っていると言っているのです。これは、何のことを言っているのかというと、この他に、次のような文章があります。
「君子とは有徳の称なり」、つまり、「あの人は立派な人だな」という君子は、徳の有る無しの評価だということです。ですから、君子とは、そっくりそのまま徳を持っている人の称号なのです。「其の徳有れば、則ち其の位有り」、つまり、社会的ポジションは、徳の有る無しで決定されるべきもので、その徳と社会的ポジションが分離することが、先ほど読んだ「君師判る」ということだと言っているわけです。
●立派な人物が社会的地位に上がるのが本質
したがって、「其の位に居る者有...