●『水雲問答』は教養レベルを計る格好の素材
もう一つだけ読んでみたいと思います。これは、小生の愛読書なのですが、平戸(長崎県)の殿様で松浦静山という人の著書に『甲子夜話』があります。
私は、25歳の時にタイのバンコクというところで水牛に串刺しにされ、あの世へ行ったりこの世へ帰って来たりと、生死の境をさまよいました。その後、日本に帰ってきて養生しなければいけないという時、非常にありがたいことに知人の方から「自分の会社の寮が平戸という所にあり、賄いの方もおられるから、そこでしっかり養生されたらどうか」と勧められ、大体1カ月半ほど平戸で生活し養生した経験があります。その寮の責任者の方が「養生といっても、若い人がぶらぶらしているのはいかん。少し勉強されてはどうですか」とおっしゃるので、ご紹介を受けて毎日通ったのが、松浦静山の文庫(松浦文庫)です。そこは、吉田松陰をはじめ、多くの志士たちが勉強に来た所でした。そこで、いろいろな書を読ませていただいたことも、今日の私の業に多少関連があるように思うのです。
そのようなことから、非常に親しみを感じ、松浦静山の『甲子夜話』が私の愛読書の一つになったのですが、特に私が気に入っている話が『水雲問答』です。
前回、佐藤一斎という人のお話をしましたが、実は、佐藤一斎は、今でいう岐阜県恵那郡の生まれで、そこで竹馬の友であった人が、林家に養子に行った林述斎という人です。林述斎は、林家を継いでから日本の学問の発展に尽力した人物で、人格・見識ともに非常にうってつけの立派な人でした。林述斎は晩年、隅田川のほとりに居を構えて、墨水漁翁と名乗り、悠々自適に暮らしました。
一方、当時の藩には、名君と呼ばれる人物がすこぶる多くいました。安中藩には、板倉伊予守という藩主がおり、なかなかの名君として名高かった方です。松浦静山も名君で名を上げた人物ですが、板倉伊予守も並び立つような名君だったのです。
この名君と大儒である林述斎、つまり、墨水漁翁と白雲山人(板倉伊予守のこと)が問答を繰り返すのが『水雲問答』です。この『水雲問答』がなかなかいいもので、当時の大人の学識、あるいは、今でいうリベラルアーツ、教養のレベルを計るのに非常に適した話であろうと思います。
リベラルアーツは、アルテス・リベラレス(artes liberales)に由来するといわれ、自由人の作法、あるいは、心構え、技法という意味で、今日流にいえば、心の解放ということでしょう。こういうものが教養ということなのですが、墨水漁翁と白雲山人両者の教養が、どの程度のものかを楽しむ、吟味する、味わうにはすこぶるいい、格好の話なのです。
●国家の使命である公議を貫くことが重要
この話の中に、実は非常に重要で見逃せない指摘があります。それを読んでみます。白雲山人(板倉伊予守)が墨水漁翁(林述斎)にこう言います。
「凡国家の政をするに、公議と申ことを立申度。これは、国家の禍はとかく人君の私慾より起り、或は大臣の私意より起り、群下の朋党より起申候。」
つまり、こういうことです。
国家の政治の最たるものに公議というものがある。古今東西、国家がおかしくなったり、倒れたといった、国家の存亡に関わることはどこに原因があるのかというと、「人君の私慾(私欲)」にある。その人君の私欲に呼ばれたように、今度は大臣が私意(自分のこと)しか考えなくなる。そうすると、「群下の朋党」、つまり皆、徒党を組み、派閥ばかりができ、派閥第一で国家のことなど放っておくという状態になってしまう。
そういう意味では、国家の使命は公議にあり、公というものが貫き通されているかどうかというところに国家の存亡は懸かっている、ということです。
したがって、公議を貫くためには、人君が公議に基づかず私欲でものを言ったとき、「臣下聴用せず」、つまり、下の者はそういう言行を取り上げなければいいのではないか、と、言っているのです。さらに、臣下も「社稷(しゃしょく)の為を忘れて」、つまり、国家のためを忘れて何かを言ったときは、それを排除する。ということで、上の者から下の者まで公議を基にして活動を繰り返していくことが非常に重要なのではないかと、と言っているのです。
そして、私はそう思うのですが、そうすれば、「国家治まらざることは無しと存候」と続けた後、「先生、いかがでしょうか」と言って、安中公は自説を回信するわけです。立派な言説です。
●大所高所から考える人格者が行政すべき
しかし、述斎の答えは、うっと唸ってしまうほどです。述斎は、「一、公議の論、一々ご尤に候」と答えます。つまり、「なかなか大した見識でいらっしゃる、それはその通りであります」と言った後、「然どもその公...