●有事を想定しなかった戦後の行政改革、結果として保健所数が減少
ここで少し保健所について考えてみたいと思います。そもそも保健所は第二次大戦前の戦争準備として、内務省が健兵健民政策を推進するために都道府県に作らせました。実は当時はこうした感染症に対しては、同じ内務省にあった警察が管掌していました。その後、第二次世界大戦の直前に厚生省ができて、そういった中で保健所が強化されてきました。
終戦時、GHQは内務省を解体し、その中で(現在の)保健所法が制定されました。それまでは、保健所は警察と似ていて、国、都道府県、地方自治体ごとに指揮系統がありました。しかし、GHQの参画した保健所法においては、地方自治ということで、それぞれの市、だいたい人口10万人あたりに一つの保健所を作ることになりました。地域の医療関係者、あるいは住民、有識者等を中心に衛生を高めていく発想で、それぞれの独立がかなり高い機能になっています。このことが現在でも、東京都あるいは23区の間の保健所機能がなかなかスムーズではないことや、あるいは都道府県と中核市の間や、市と市の間でも、保健所の相互の提携が十分でない大きな原因となっています。
当然のことながら、戦後の混乱期においては、海外から帰国した兵士による伝染病や感染症の輸入や、貿易なども含め、さまざまな問題がありました。また、国民の病気としては、戦前からの結核に対する検診活動が非常に進んでいました。そういった中で、国民皆保険が登場します。それと同時に、医療の主体が予防より医療サービスのほうに変わっていくことによって、保健所の力が徐々に弱くなってきたという実情があります。特に、地方財政の悪化、そして1980年代以降のいわゆる臨調(臨時行政調査会)の行革から、社会保障制度が全面的に再編されます。さらに、保健所法が地域保健法に改正されることによって、従来の予防医学や公衆衛生だけではなく、老人保健や精神保健にも機能分化として人員の配置が進み、本来の目的であった感染に対する資源が非常に乏しくなってきたという状況があります。
保健所の数を見ていただくと、1960年代がだいたい800か所で、ピークの1992年には852か所ありましたが、現在は469か所しかなく、当然人員も減少しています。有資格者である医師や保...