●「不確実性」を言うのは「不都合」なとき
―― 21世紀のサステイナブル社会実現のため、将来予測に付きまとう「不確実性の問題」とどう向き合っていけばいいか
住 これは、「不確実性」という言葉にいろいろな意味合いが込められ過ぎているのだと思います。不確実だから「まったく分からない」のかというと、多くの人はそうではなく、「ほとんど分かっているのに、一部分からない」と思っているわけです。
だから、実は自分に不都合なことが起こるときに限って「不確実性」と言うわけです。都合のいいときには、本当は不確実であっても、ほとんどの人が確実だと思っています。これが人間の心理です。
「不確実性の問題を取り上げる」と言っている人の場合は、そういう背景が裏側にあることがほとんどなので、注意をした方がいいと思います。もちろん将来のどんなことも、確率的に100パーセントの予測ができるわけはありませんが、相当程度の予測はできるからです。
例としてよく挙げるのが、サラリーマンの日常です。大体の人は朝出かけて、夜は家に帰ってくる。これはもうほとんど確かなことです。何時に帰ってくるのか多少ばらつきはありますが、大体は夜7時か8時になると帰ってきます。そうすると、「不確実」なのは事故が起こるかもしれないということです。しかし、それは確率的に少ないため、多くの人は「ほとんどない」と思って無視しています。そういうことに基づいて、日々の生活はちゃんと営まれているため、ほとんど十分に社会は回っているということです。
●気候変動で「確実に言えること」と対策のギャップ
住 温暖化の問題についても、その程度の確実さで言えることはあります。例えば、「非常に暖かい気候が増えてくる」、「非常に強い雨が増える」、「強い台風が来る」などです。しかし、「いつ、どこに」という細かいことを言えば、それは決められない。そういうことは、現実でもそれほど分からずに過ごしているわけです。
今日・明日・明後日のことも「確実には」分かっていないのですから、同じことなのです。そこのところをよく理解しながら、全体の流れとしてはよく分かることもあるので、それに基づいた手当てをしていくことが、やはり非常に大事だといえます。
例えば、日本で明らかに大きな問題といえば地震です。南海トラフの大震災が70年から100年のうちに1回来るだろうといわれています。
では、どう対策すればいいのかというところで皆が悩むわけですが、それは「できればサボりたい」からです。つまり、自分の問題としてだけ考えるとすれば、「自分が逃げ切れるところはどこか」ということになりますし、何もしないで逃げ切れる余地はやはりあるのです。そこを皆が言っているのだろうと、私は思っています。
●10年後に死ぬ人には「関係ない」温暖化問題
住 温暖化の問題は、いまから10年後に死ぬことが明白な人にとってみれば、ほとんどないに等しいのです。いまお金を持っていて、いい暮らしをしていれば、10年間でこの社会が壊滅的になることはほとんどありません。だから、10年後に死んでいく人にとっては、「いくらでも好きにやっていていい」となります。ただ、その人が自分の子供や孫の世代を考えるとそうはいかなくなっていくわけで、それによる落差があるのだと思います。
そういう点でいうと、ある程度の条件は存在するにしても、特に物理的な気候の問題に関しては、相当程度に信頼に足る予測が得られていると思います。ただ、一方で、社会的な変化というものがあります。人は社会の中に住んでいるわけですから、実際には自然的なリスクよりも、社会がどう変化するかということの方が、影響が大きい。しかし、それはよく分からないのです。
(不確実性について)さまざまな人がいろいろなことを言うのですが、その根底にあるのは、そちらの方の不安感でしょう。いつまでも自分たちに金があるのだったら、合理的で適切な判断が取れるはずです。しかし、いつそのお金がなくなってしまうかも分からない。そうした不安感がずっとあるわけで、そこの問題がやはり一番大きいのだと思います。
●「異常気象」ではなく「極端事象」
―― 異常気象が世界中で起こっているが、地球は本当に異常な状態に入ったのか。現在の地球の気象状況と今後について
住 まず、「異常気象」という言葉自体が、あまり適切な言葉ではありません。マスコミ用語として非常に頻繁に使われる言葉ですが、ここには「何もないときが正常」「何かあったら、それはおかしい」というニュアンスが込められています。そうではなくて、自然というのはもともと一定の確率、ある割合で何かとてつもないことが起こるものなのです。
ある確率分布をする自然現象に対して、現在では「極...