●近代以前の気象予測は「観天望気」から
―― 明治から始まった気象予測の歴史的経緯と、今後の発展・進化について
住 近代的な気象予測は、明治政府が始まったために日本でも導入したのですが、昔から気象に関する関心や知識は高いものがありました。
例えば、日和山 (ひよりやま)という地名を調べると、日本中で非常に多くの場所に分布しています。昔も航海や旅行のときに天気を読むことは非常に大切なことでした。それらはほとんど経験則で、今でも「観天望気」という名称で知られていますが、天、要するに空を見て将来の天気を予測することは、昔から経験的に知られていました。
●晴雨計から気圧へ。天気予報のスタート
住 中でも有名なのは、いわゆる「バロメーター」。これは日本語に訳すと晴雨計で、晴れか雨かを示す機械ですが、(測定しているのは)気圧です。気圧が下がれば雨、上がれば晴れるといった単純なメジャーで測ってきたわけです。
気象の観測史上、天気変化が低気圧の移動によって説明できることが分かった画期的な事件がありました。(1854年、)クリミア戦争の最中に、フランスの軍艦(「アンリ四世号」)が沈没しました。それで、時のフランス天文台を中心に調査を進めたところ、大きな低気圧が西から来て、それが起こした暴風で沈んだことが分かりました。
このことから、各地で気圧を観測して、その状況を追跡していけば天気予報ができることが分かったのです。逆から言えば、低気圧や高気圧のような大きなシステムがあって、それが「天気」という大きな現象をコントロールしています。そのため、大きな動きをつかまえておけば変化が分かるのです。これは、非常に大きなことでした。
●数値予報の発展と静止気象衛星
住 それを何とかして学問的にやろうというのが、「数値予報」の歴史です。
19世紀後半にヘルムホルツという非常に偉い学者が出て、物理学、電磁気学、生理学など、ありとあらゆることを研究しました。このヘルムホルツの時に、いわゆる流体力学と熱力学が全部完成したわけです。それまでは、工学系のいろいろな理屈もそうですが、実際のいろいろな現象に照らして熱流体力学をやった人はいませんでした。彼の時に初めて熱力学と流体力学が完成して、それを使えば明日の天気が予測できるはずだと考えたのが、数値予報の始まりになります。
その後、継続した努力によって発展が続いたものの、そうスムーズではありませんでした。第二次大戦後、ノイマン型計算機が発表され、その発展と歩調を一にしてきたことが、現在の技術に大きく寄与したわけです。それが、数値予報における「モデリングを軸に天気を考えよう」という話なのです。
それに加えて観測面が飛躍的に進展し、重視されるようになったことも大きかった。いまではいろいろ意見が分かれるにせよ、やはり静止気象衛星の威力は大きかったと思います。ごちゃごちゃ言わなくても、画像を見せれば、どこに台風があるのか誰でも分かるのです。
●天気変化をつかむ難しさと現代の動向
住 基本的に、静止気象衛星の利点は、台風などの大きなシステムが動いて天気をコントロールする様が如実に追えることにあります。逆に、ゲリラ豪雨を引き起こすような積乱雲の1個1個は追いきれません。大きなシステムによる変化ではないため、全体像がつかみにくいのです。竜巻なども、日本ではまだそれほど多頻発しておらず、起きる場は分かるものの、どの地点で発生するかを予測するのは非常に難しいのです。
結局、非常に分かりやすいのは、あくまでも大きなシステムに伴って起こる天気変化だというのが現状です。現段階においてもやはり「明日予報」にとどまりますね。一日の予報であれば精度はかなり高いし、とりわけ冬の方が精度は高い。冬は、基本的にあまり暖かくなく、夏に比べると雨がそうそう降りません。精度的に夏は積乱雲が出たときかなり勝ちますが、冬になると流体力学的なものが勝つので冬の方が割に予測をしやすいというのが基本です。
日本付近では、レーダー網やアメダスなど、さまざまな観測システムも完備されてきています。そのため、数時間から1日ぐらいの予報は非常に精度が高くなってきました。その利用がこれからも増えていくだろうと思います。
私は知らなかったのですが、今はスマホや携帯にも天気予報が流れていて、女子高校生などの利用が非常に増えているそうです。「なんで?」と聞くと、何を着ていくか決めるのに非常に重要な情報だというわけです。昔のわれわれの感覚でいうと、農業や水産業など、実学的な理由でしか天気予報は利用されなかった。ところがいまはファッションなど、全然違う方面から使われるようになってきた。従来とは違う社会になっているということです。