大竹 これからは、リーダーという定義をもう少し正しく伝えていくことが大切です。辞書で引いても、リーダーといえば「指導者」などということで簡単に説明してあるわけですが、そうではありません。日本語にない言葉の一つがリーダーという言葉なのです。リーダーとは日本語にならない言葉なのです。他律的称号であって、地位とはまったく関係がないのです。自称リーダーというのは、リーダーではありません。第三者が決めることであるから、他律的称号と言われているわけです。ですから、経団連のトップがリーダーではないわけで、それにふさわしい方であれば、リーダーと呼んでもよいのです。
今度、日本商工会議所の会頭に三村(明夫)さんが就任される。あの方などは、私はリーダーという言葉にはふさわしい人物だと思っています。そうでない人が商工会議所の会頭になったり、経団連の会長になったり、などということもありうるわけです。
結局、「真のリーダーとは何だ」という、ここが問題なのです。会社の社長だったら、リーダーだというように決めつけていますが、それに相当する方もいますけれど、相当しない方もいるのです。まったくリーダーの資格がない人が、社長になったりすると、従業員も不幸だし、会社の繁栄もあり得ません。
―― 本当にそうですね。「リーダー」という言葉は確かに訳せないですね。
大竹 訳せない、訳せないのです。このことをみなさん方にどう伝えていくか。もっと極端に言えば、平社員の中にもたくさんリーダーと言える人がいる、と私は思います。地位とは無関係なのです。
そうなってくると、シカゴ大学やアスペン研究所(※1)は、教養教育を重要視。シカゴ大学ではノーベル賞受賞者を89名輩出しています。そういうところでしっかりとしたものを身につけていただきたいということで、私は今アスペン研究所の活動をしたり、リーダー養成塾を作ったり、そういうことを過去20年間やってきました。まだまだ足りないし十分とは言えません。でも、ぜひこのような機会を通じて多くの国民にリーダーということについて、みなさんと共に深く深く掘り下げて考えていただくような機会を提供していただければと思います。そうすると、この国にも、「リーダーというものはかくあるべし」ということを根付かすことができると思います。
過去の歴史上の人物の中に、世界一のリーダーと言えるような方が日本にたくさんいるのではないかと思います。一例を挙げれば、西郷隆盛という方などはまさに世界に出しても恥ずかしくない大人物です。新渡戸稲造さんでも間違いないと思います。世界中の方が尊敬する。ケネディなどは特に尊敬したわけです。ですから、日本人ももう少し自信と誇りを持つべきだと思います。そういう歴史、ご先祖にそういった人物が多数いらっしゃるわけですから。
郷土に行くと郷土史というものがあります。私の故郷にも、高校の先生をお辞めになった方が、郷土史の大家としていらっしゃいます。この前も私は中国新聞で16回の連載いただいたのですが、その記事を読んだ一度も面識のない先生が、我が家の実家に電話を入れられ、私に電話がかかってきました。その方は郷土史を作っている人で「あなたを郷土史の1ページに載せたいので、協力してくれ」と先生はおっしゃいました。今の小学生、中学生、高校生に、教科書として使いたいからという思いで、亡くなった方の分を全部、今掘り起こしているそうです。そういうものが全国でぐーっと芽生え始めるとすごいと思います。
例えば、岩手に行ったらあそこは新渡戸稲造の本拠地です。岩手県の小学校、中学校、高等学校で、新渡戸稲造研究会みたいなものを作れば、すごいと思いませんか。もちろん、新渡戸稲造だけではなくて、岩手ではすごい人がいっぱい輩出されています。全国各地にいらっしゃるわけです。そういうものに一度、お力添えいただくとありがたいなと思います。
―― 自分の先祖は人殺しだと言われたら、いい子は育たない。やはり立派な人だった、というのが力になりますね。
大竹 今のお話はとても大切なお話なのですが、ジミー・カーター大統領とは、個人的に非常に親しくしていたのですが、自分のルーツをずっと時間をかけて調べていると、先祖に殺人者がいたというのです。たどっていったらそのような人がいたというわけです。そこで彼はぴたっと調査をやめたと。色々な興味があるからご先祖を調べたいわけですが、すべての人がすばらしい先祖を持っているわけではありません。カーターさんも非常なショックを受けられたらしいです。
神藏会長のところこそ神社、そういうところまでさかのぼっていって、そういったものをやはり郷土のみなさんで情報共有していただくとありがたいなと思います。歴史というのは偉大なものなのです。事実ですか...


