●都市論ではない東京を、郊外少年の実感で語る
「東京はワンダーランドだ」という、実に不思議なお話をします。
どういう話かといいますと、私の個人的な経験、つまり昔の東京近郊の少年の話です。私の友人たちには浅草や銀座の老舗の息子たちがいますが、彼らの語る「東京は、こんなにいいところだ」という話とは少し違います。新宿から電車で40~50分かかる郊外に住んでいた中学・高校時代の話で、『三丁目の夕日』よりは少し後の話になるのではないかと思います。
なぜ、このような話をするのか、なのですが、東京の持つ魅力や今ある問題点については、別の機会に改めて「都市論」として申し上げようと思います。また、世の中には「東京一極集中が、諸悪の根源だ」と言う方がいますが、これは問題設定の誤りだろうと思うのです。例えばわれわれ大学人の世界で、「東京大学に一極集中しているのが悪いから、東京大学を引きずり降ろそう」としたとしても、他の大学の競争力が高まるわけではないからです。
むしろ問われるべき問題としては、「なぜ東京は、世界の金融センターではなくなったのか」「改めて東京を世界の金融センターにしようという試みが成功しないのはなぜか」という別の重要な話もあります。しかし、そういった「東京都市論」については、今日ではなく、改めて行いたいと思います。
●理系は秋葉原、文系は神田を目指したのどかな日々
今日、お話しするのは、もっとのどかな話です。
「のどか」とはどういうことでしょうか。東京や東京近郊に住んでいる中学生・高校生は、理系であれば秋葉原を目指しました。今の秋葉原とは違い、いろいろな電気製品や部品、模型などが並ぶ玉手箱のような街でした。
しかし、同時に神田の古本街を一日中歩くこともありました。文系・社会科学系の学生にとっての神田の古本街は、もう夢のような世界で、一日歩いても飽きません。年を取るとくたびれるので、一日歩くような気力はなくなりますが、中学・高校の時代はともかく歩き回りました。
芸術系の学生・生徒はどこへ行くかというと、上野を目指します。上野駅を降りて東京文化会館の方に行けば音楽系、西洋美術館の方へ行けば美術系です。コンサートに行く人もいれば美術展を見る人もいるわけで、私はもっぱら美術展を見る方でした。
さらに言えば、ちょっと息抜きをしたいというときには、上野なら「鈴本」があり、新宿には「末廣」があります。ちょうど立川談志がテレビに出始めた頃でしたが、「落語もいいね」と言って末廣に通ったような記憶があります。
東京は、知的好奇心を持つ若者や少年たちを刺激するワンダーランドだったのです。
●地方にも海外にもない「ワンダーランド」性
「ワンダーランド」が、「ディズニーランド」や「ディズニーワールド」と違うのは、知的好奇心を非常に強く刺激していたことです。まだ大学に入る前の少年や、研究や芸術がよく分からない人であっても、とにかく美術展があれば、2時間行列に並んでも見た、というような時代でもありました。
この話は、東京や東京近郊にいた学生・生徒にはよく分かる話でしょうけれども、地方にいた人には大変気の毒ですが、他の地方にはなかったことです。当時の地方出身の若者の経験とは相当異なっています。また、外国の中高生が経験できたかというと、外国にもありません。例えば神田の古本街一つとっても、ロンドンにもニューヨークにも、あんなところはありません。
そのような意味からすると一番近いのは、貴族や裕福な家庭の子弟が、子供の頃から音楽や美術などの芸術に接することができる経験でしょうか。これはわれわれが絶対にかなわないなと思うのは、それこそ彼らは子どもの頃からワインを飲んでいる――ワインを子どもは飲まないかもしれませんが、おいしい食事をし、いい絵を見て、いい音楽を聴いていることです。それらを生で体験している貴族たちには、本で勉強した人間はとてもかないません。
●今の東京を「ワンダーランド」にするには?
そのような恵まれた層も世界にはいるわけですが、東京はそれとは別で、もっとミドルクラスにまで開かれていました。子どもや若者が東京へ行けば、それに接することができる。そのための場所が秋葉原であり、神田の古本街であり、上野の音楽祭や美術展だったりしたわけです。そういう刺激こそが、中学や高校の教育ではもっと重要なのだろうと思います。
さて、それに相当するものが今はあるのでしょうか。おそらく高校生や中学生たちに聞けば、「ある」と答えるでしょう。しかし、今はあまりにも情報が発達しすぎていますから、昔の高校生がワクワクしたようなものはなくなっているかもしれません。情報が発達しすぎたための不幸も、逆にあるのかもしれません。...