●小池氏の原点は日本新党の発想にある?
都議会選挙に関して、お話しします。都民ファーストの会を率いる小池百合子氏は、何を考えているのでしょうか。もちろん、目指しているのは、議席を取るということです。公明党と両方で過半数の議席を求めている、というのはよく分かります。あるいは、それまでの議席がゼロの状態から出発して圧勝した、フランス大統領エマニュエル・マクロン氏の政治を目指している、という解釈もあり得ます。実際、他党から移ってきた人で、いくつか議席はありますが、都民ファーストの会自体の議席はほぼゼロです。
しかし、今日の話のタイトルは「2017年の日本新党」です。というのも、小池氏の原点は日本新党の発想にあるのではないかと、考えられるからです。日本新党は25年も前の話になりますので、覚えている人も少ないでしょう。若い人なら、「何だそれは」と思うかもしれません。日本新党の結党は、1992年6月号の『文藝春秋』に、細川護煕氏が「『自由社会連合』結党宣言」を発表したことに、端を発します。そのおよそ1年後に、細川政権が発足することになりました。こうした経緯について見てみましょう。
●結党宣言の1年後、細川氏は首相になった
細川氏の「『自由社会連合』結党宣言」という、よく分からないタイトルの論文がここに出ました。日本新党の結党宣言よりも、内容的には色々書き込まれているものでしたが、この論文については思い出があります。実は、細川氏の結党宣言がA面だとすると、B面が私の記事になっているのです。「保守無党派層は救われない」という記事です。細川氏の「『自由社会連合』結党宣言」だけでは、記事が弱いと編集長が思ったのでしょう。急遽、私にインタビューの依頼があり、その談話を書き起こしたものです。細川氏の記事のB面に私の記事が出ましたので、私が日本新党結党の首謀者に違いないという説も流れました。しかし当時、私自身は日本新党の動きを全く知りませんでした。この記事の経緯については、『文藝春秋』編集長のシナリオだったのです。
私は、細川氏の記事を書いた人を何人か知っています。彼らの動きが、日本新党の結党へとつながっていくことになります。ここで興味深いのは、実はこの記事の1年後に、都議会選挙が行われることになっていた、ということです。その際、日本新党は22名の公認候補者を擁立し、20名が当選しました。この時にはすでに、日本新党という名前になっていました。さらに都議会選挙の翌月の7月18日、衆議院選挙に57名を擁立し、35名が当選しました。これが、日本新党が国政において大きな力を発揮する、きっかけとなります。その翌月、非自民・非共産の8党会派によって、細川氏が担がれて、細川内閣が発足しました。結党宣言を書いてから1年あまりで、細川氏は首相になったのです。結党宣言を書いた当時、細川氏は国会議員でさえありませんでした。
●勝負勘のある小池氏は、何かを仕組んでくるのではないか
若い方は、陶芸家で好々爺の細川氏というイメージしかないかもしれませんが、少し年配の方であれば、こうしたストーリーを覚えているでしょう。そしてもちろん、日本新党のメンバーであった小池百合子氏は、このストーリーのことを知らないはずはありません。
現在、当時の政治状況とは同じではありませんが、このような急展開になってくる可能性があります。勝負勘のある小池氏は、節目節目で重要な判断や決断を下すなど、何かを仕組んでくるのではないかと、考えられるのです。そこで、まず重要なのは、都議会選挙で都民ファーストの会が第一党になるかどうか、公明党と併せて過半数を取れるかどうか、ということです。おそらく、民進党にとってはかなり厳しい状況になるでしょう。
現在、安倍晋三氏は自民党として、また安倍政権として、都議会選挙については静観している状況です。しかし今後、安倍政権側から、小池氏らをライバルとして認知するのか、それとも後継者として理解するのか、判断がなされてくるでしょう。
タイミングについていえば、2020年のオリンピックは、かなり微妙な時期です。つまり、次の知事選は昨年の4年後、オリンピックの直前に行われることになるでしょう。オリンピック後も、もう一度知事をやるのか、そうだとすれば、いつ国政に出ていくのか、ということが問題になります。つまり、今度は国政選挙との関係が重要になってくるわけです。
●地域政党連合によって政界再編が引き起こされるか
さらにこのことは、政界再編にも関わってきます。もちろん1992年、93年頃とは違う形ですが、政界再編が起きる可能性があるのです。現在自民党は、盤石とまでは言えないにしても、議席を十分持っています。補完勢力として、維新の会もあります。ただし、今回の都議会選で、公明党が離れ...