●官僚パッシングによって採用から崩れてしまった官僚組織
―― 通産省は、齋藤さんが昔、通産省の役人だった頃のほうが、遥かに自由度があったのではないですか。
齋藤 ありましたね。
―― 今は相当まずそうですよね。
齋藤 まずいですね。まだ、今の局長クラスぐらいまでは踏みとどまって、頑張っていますが、あと10年経ったらどうなるのか。
―― ガタガタでしょう。だって、人間というのは、積み重ねですから、30代の頃にそういうことをしていなかったら、40代でそうなるわけがないですから。
齋藤 おっしゃる通りです。
―― そこがぽこっと抜けていると。おそらく、かろうじて支えていたのは、大蔵省や通産省の一部の人たちの中に、自由にものを発想する力と、どこでもヒョコヒョコ出て行くという行動力がまだあったからで、そういうものが失われてから、多分10数年は経っているでしょう。
齋藤 経っていますね。
―― そうすると、ここの部分が使えなくなってきて、今50代前半くらいの局長さんたちがいなくなった頃に、本当の人材というのは払底するではないですか。
齋藤 それは感じています。官僚バッシングが1990年代後半から、非常にきつくなりました。バッシングがきつくなったのは当然で、こちらの側にもおかしなところがありました。学生というのは非常にピュアですから、メディアによって、天下り先を探すのに汲々とし、ノーパンしゃぶしゃぶに通い、上から目線でいつもものを言う人たちというイメージがつくと、まともで正義感の強い人ほど、「そんなところへは行きたくない」ということになるわけです。だから、採用から崩れてしまったのです。
しかし、そういった官僚はほんの一部の人です。本当に意気に感じて、自分を犠牲にしながらも、国のためとやっていると思って働いている人はいっぱいいます。
けれども、そういう情報は、メディアでは流れない。そうすると、メディアの情報にしか接していない学生は、そんなところには行かないというようになるわけです。だから、まず採用から崩れてきたのです。
―― なるほど。そこは、致命傷になりますね。
齋藤 採用が崩れてきたということは、組織の人材能力を決定する要因として、致命的に大きいです。
―― 霞が関というのは、人材しかいないところですし、それ以外何にもないわけですから。
齋藤 1...