●欧米の指導者層と付き合うには教養ある話ができることが大事
齋藤 ヨーロッパやアメリカの指導者層の人たちというのは、エリートたちが持つ教養として、神藏さんと私が今話しているようなことを始終やっていると思います。
例えば、あまり大きな声では言えないのですが、日本の国会議員の中で、こういう話でかみ合う人がいるのかというと、官僚も含めて、滅多にいません。ですから、神藏さんは、日本の社会の中では非常にユニークな方だと思います。
ただ、ダボス会議などに行くと、皆、相当教養のある話をするといいますから。つまり、エリート同志で、ギリシャ、ローマの時代の話から、私たちがしているような話までしているということです。
しかし、日本では、こういう話をすると、むしろ、「齋藤は変わっているね」とか、「あいつは物書きだね」と言われ、かえって蔑みの対象になります。これは、カルチャーの違いでしょう。
―― 恐ろしい社会ですね。
齋藤 恐ろしい社会です。勉強ばかりしている人だと。それがマイナスになるわけですから。
―― 一般教養がマイナスになる。
齋藤 マイナスになってしまうのです。
―― 相当まずいわけですね。
齋藤 まずいです。
―― しかし、そういう話が出来ない人が、海外に行くと、今度はお付き合いができないから、どんどん弾かれていきます。
齋藤 インドに行って、「私はカレーが好きです」というくらいの話しかできない日本人ばかりになってしまうわけです。
●今の選挙制度では当選後に教養まで身につけることは難しい
―― 相当まずいですよね。政界というのは、中選挙区制から小選挙区制になって、賢い人がもう少し昔より集約されて、良くなる予定でしたが、実際になかなかそうはなっていないわけですね。
齋藤 自分が選挙に出てみて分かりましたが、やはり選挙は厳しいです。
例えば、私が東京で役職に就いて忙しくなるとします。お国のためだから、役に就いた以上はベストを尽くそうとするでしょう。そのため、地元にはなかなか戻れなくなる。そうなると、地元の人は、「頑張っている」ではなく、「さぼっている」と言うわけです。もちろん、「頑張っている」と見てくれる人もたくさんいますけれども、地元に戻ってこないと、「あいつはさぼっている」とか、「偉くなった」とか、「もう俺達の票はいらないのだ」と言う...