●安易に増税に頼る点に、国の経営の問題がある
山田宏です。今日は、リーダーが立脚すべき哲学についてお話しします。特に、「自由」と「平等」という二つの価値をよく考えてみたいと思います。
現在、日本の行政はどんどん膨張しています。GDPは横ばいですが、政府の支出は膨れ上がるばかりです。今年の国の予算は約95兆円です。ほんの5、6年前は85兆円ほどでしたから、一気に10兆円も増えたことになります。GDPは増えていないのに、歳出ばかり増えるのはなぜか。高齢者が増えている中で、社会保障制度を維持・充実していくために必要だからです。そのために、消費税も8パーセントになりました。来年の10月には10パーセントになります。1年半で一気に税率を2倍にするとはいささか乱暴ですが、これまでは借金で何とかしのいできたものの、これ以上借金をすれば日本の長期金利が上がってしまうため、政府はやむを得ず消費税を上げる決断をしたのです。
増税とは、会社でいえば商品やサービスを値上げするのと同じことです。しかし、会社の経営が悪化して借金ができなくなったからといって、自分の製品の値段を上げるでしょうか。上げたら、普通はその会社は倒産してしまうでしょう。会社を立て直す場合は、売り上げを増やし、コストをカットするのが原則です。
国の経営でも、安易に借金や増税に頼るのではなく、やはり徹底的に売り上げ増、つまり成長経済をつくることを狙い、一方でコストカットを進めるべきです。この二つを徹底的にやったかどうかが問われなくてはなりません。しかし、国は「独占企業」のようなものですから、値上げしても文句を言う人がおらず、安易に増税に頼ってしまうのです。私はそこに国の経営の問題があると思っています。
増税をすれば、重税国家になっていきます、そうしたら誰が困るかをよく考えてください。大金持ちは海外に逃れればよいのです。一方、所得の低い人たちはそもそも税金をあまり払っていませんから、重税はそれほどこたえません。もちろん消費税を上げれば低所得者層も多少打撃を受けますが、生活必需品には消費税をかけないとなれば、それほどではないでしょう。結局、増税に一番打撃を受けるのは、海外に逃げられない中間層の人たちで、彼らがどんどん没落していきます。これが重税の問題点です。
●貨幣が、選択と私有財産の自由を生んだ
さて、そもそも自由とは人類にとって一体どのような価値があるのでしょう。農奴や奴隷の時は、自由などありません。自由がなければ自ら工夫もしませんし、楽しみもないわけです。しかし、少しずつ自由の領域が広がるに従って、人々はいろいろなことを考え、工夫をし、責任を果たし、努力し、発明してきました。そのようにして人類の歴史は進歩してきたのです。
農奴には移動の自由がありませんでした。領主に物々交換のような形で農作物を納めていましたから、その土地から逃げられず、生活を自分で変えることができませんでした。しかし、社会が豊かになってきて都市が生まれると、そこで実にいろいろなものが交換されるようになりました。すると物々交換のシステムでは難しくなり、貨幣がどんどん広がっていきました。
貨幣は本当に優れたもので、何の売買にでも使えます。そこには選択の自由があります。つまり、貨幣が生まれたということは、人間が選択の自由を手に入れたということを意味するのです。しかも、貨幣は貯蓄ができますから、私有財産をつくることもできます。この二つの自由が、人間の全ての自由の温床です。自由とはもともと、「私有財産と選択の自由」なのです。これがあるからこそ、発明や思索などの精神的な自由が生まれてくるのです。
私有財産・選択の自由と精神的な自由は、密接な関係にあります。経済の自由などなくても、精神の自由があればよいと考えている人がいれば、それは間違いです。かつてのソ連を見れば分かります。ソ連では、生産手段が次々に国有化され、役人が権力を握っていきました。人々の給料も国が払うようになりました。当然、自分で自由に工夫したり、発明することができなくなりました。あるのはノルマと給料だけです。自分で職業を選ぶこともできません。貯蓄して豊かになることも難しくなり、結果的に精神的な自由が消え失せていきました。領主と奴隷の関係しか残らなかったのです。
●税金は人のお金だから、必ず無駄になる
ですから、本当に豊かで多様な社会をつくるためには、経済の自由を拡大していかなくてはなりません。私有財産が増えるような社会にしなくてはなりません。人々の私有財産を増やすためには、税金を上げてはいけないのです。なぜなら、重税社会をつくることは、人々から私有財産を取り上げ、そのお金の使い道を官僚が決めることだからです。
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