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盗まれたデカルトの頭蓋骨の行方

デカルトの生涯に学ぶ(2)死後の事件とデカルトの骨

津崎良典
筑波大学人文社会系准教授
情報・テキスト
『デカルトの骨』
(ラッセル・ショート著、松田和也訳、青土社)
デカルトは死後も、事件に巻き込まれる。最初、スウェーデンの首都ストックホルムにある共同墓地に葬られた遺骨が、その後、フランスへ移送されることになり、その移送中、なんと頭蓋骨が盗難されてしまったのだ。その頭蓋骨はその後、どうなったのか。現地の写真とともにその足跡を追う。(全2話中第2話)
時間:08:05
収録日:2018/09/27
追加日:2019/02/14
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≪全文≫

●今もストックホルムの旧市街に残るデカルトの家


 デカルトは1649年9月にスウェーデン行きを決心して、10月から住むわけですが、ストックホルムには「ガムラスタン」と呼ばれる地区があります。ガムラスタンとは旧市街を意味するようです。

 この旧市街は本当に小さなところですが、宮殿があり、教会もいくつかあり、坂道の多い石畳の街です。日本人の方、あるいは外国人の方でも、映画監督の宮崎駿氏が好きな方は、『魔女の宅急便』という映画の舞台になった場所とご紹介すると、少しイメージが湧きやすくなるかもしれません。

 そこにデカルトは住んでいました。彼が住んでいたとされる家は、今でも一部残っています。私は実際にそこまで行く機会があったのですが、彼が住んでいたとされる家の扉のところにはそのことを示すプレートが貼ってあり、デカルトの足跡、面影をたどることができるようになっています。そこで彼は1650年2月11日に死ぬわけです。病死か暗殺かは分かりません。

 当時は土葬ですから、彼もそのまま埋められるわけですが、残念なことに旧市街のガムラスタンから少し外れた、しかも共同墓地の中に埋められてしまいます。共同墓地ですから、いろんな人と一緒のところに埋められたということです。

 そうして、共同墓地の中に埋められてから十六年後、1666年になんと彼の遺骨が掘り起こされるということがありました。翌1667年に、その遺骨がフランスへ移送されます。

 そして、その百年後ですから18世紀の半ばごろになりますが、そこに教会が建てられます。アドルフ・フレデリック教会と言いますが、これは今でも残っています。

 中に入ると、デカルトの記念碑が飾ってあります。そこは、その後のデカルトのさまざまな数奇な人生と言ったらおかしいですが、彼がたどった足跡を窺い知ることができる一つの興味深い場所になっています。


●デカルトの頭蓋骨が、フランスへの輸送中に盗まれる


 さてデカルトの骨ですが、フランスに移送される時、一つ事件が起きます。ただでさえ暗殺されたということでも大事件です(それは暗殺されたことが本当だとしたらですが)。さらに、共同墓地に埋められてしまったということも、デカルトを研究している私にとってはなんとも悲しいことなのですが、その遺骨が掘り起こされて翌1667年にフランスへ移送されるという時、新たな事件が起きてしまったのです。

 それは何かというと、移送のため警備を担当していたスウェーデンの或る人物が、彼の頭蓋骨だけ抜き取ってしまったのです。つまり、フランスへ帰ってきたのは、頭蓋骨がない、その下だけの骨だったということです。

 いずれにしても、1667年にフランスに帰ってきた骨は、紆余曲折を経て、最終的にパリの左岸、セーヌ川の流れの進行方向に沿って左側ですが、大学がたくさんある文教地区のサン=ジェルマン=デ=プレ教会というところに今、納められています。

 では、頭蓋骨のほうはどうなったのでしょうか。その話は、日本語ではラッセル・ショートの『デカルトの骨』という本の中で詳細を窺い知ることができますが、いろいろな人の手に渡っているので、少し気味が悪いですよね。その後、頭蓋骨はオークションにかけられますが、オークションにかけられるということは、それを競り落とす人がいるということです。結局、デカルトの頭蓋骨とされるものはスウェーデンの科学者によって競り落とされ、最終的にフランスに返還されました。19世紀のことです。


●デカルトの頭蓋骨はパリの人類博物館に展示されている


 それから少し時間がたって20世紀になって、これは本当にデカルトの頭蓋骨なのだろうかということで鑑定が行われました。本当のところは分かりませんが、一応デカルトの頭蓋骨だろうという判定がなされ、今はパリの人類博物館に展示されています。

 人類博物館はエッフェル塔のちょうど正面、セーヌ川を挟んで真正面にある建物の中に入っています。そんなに大きな博物館ではありませんが、その博物館の展示室に置かれているのです。


●デカルトは1596年3月にフランスの中部で生まれる


 ということで、一通り、デカルトの死んだ時の状況、それからその後の彼のいくつかのエピソードをご紹介しました。では彼は一体、どのように生まれた...
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