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デカルトは暗殺されたという新説と時代背景

デカルトの生涯に学ぶ(1)デカルトの死と宗教戦争

津崎良典
筑波大学人文社会系准教授
情報・テキスト
クリスティナに進講するデカルト
(ルイ=ミシェル・デュメニル画)
西洋哲学史上にその名を燦然と残すデカルト。だが私たちは、彼がどのような生涯を送ったのか、あまり知らない。筑波大学人文社会系准教授の津崎良典氏が、彼が晩年にスウェーデンに向かった動機や、実は暗殺されたのではないかという説について解説する。(全2話中第1話)
時間:10:55
収録日:2018/09/27
追加日:2019/02/10
ジャンル:
≪全文≫

●1650年2月11日、デカルト死す


 皆さん、こんにちは。筑波大学でフランス哲学の研究と教育に従事しています、津崎良典と申します。今日はデカルトについて、いくつかお話ししたいと思います。

 デカルトは17世紀のフランスの哲学者です。彼は1650年2月11日、スウェーデンの首都ストックホルムで死にました。

 どうしてフランスとは別のところで死んだかというと、その前年の1649年に、スウェーデンの女王であったクリスティナという人にスウェーデンに来てほしいという要請を受けたからです。そのため、ストックホルムに行くわけですが、彼は最初行くのを渋っていました。招聘を受けたのは1649年4月で、その頃、彼はオランダに住んでいましたが、オランダよりさらに北に行かなければいけません。そのため、ずっと渋っていたのですが、夏が過ぎ、9月になって行くことを決心します。

 当時、飛行機も鉄道もありませんから、オランダからスウェーデンに行こうとすると、馬車あるいは船で行かざるを得ません。そこで、三週間ぐらいかけて船でストックホルムに向かいます。そうして、10月にストックホルムに入りました。

 10月のストックホルムはすでに寒いのですが、女王に招待を受けたので、頼まれた仕事をいろいろと始めようとします。しかし、最初のうちは、頼まれた仕事をすることはほとんどありませんでした。翌1650年1月になってから、いよいよ宮殿で女王への講義を開始します。ただ、女王にはいろいろな仕事がありますから、デカルト一人にかかずらっているわけにいきません。そこで、彼女の都合のいい時間帯に講義をやってほしいということで決まったのが朝の五時でした。

 朝の五時に授業をやって欲しいというのはなかなかきついことだと思います。デカルト自身、生まれた時から非常に体が弱かったと言われており、デカルトの伝記を読むと、最初に出てくる話として、午前中はよく寝ていたという逸話も残っていたりします。

 また、1月ですからストックホルムは極寒です。当時、暖房がしっかりしているわけではなく、ガスなどもないですから、焚き火でストーブを焚くわけです。

 そのように、非常に寒い中、朝五時から週二回講義を行ったので、結局彼は風邪を引いて、肺炎を発症してしまいます。それと同時に、彼は自己診断を間違えてしまい、1月に講義を始めて翌2月に死んでしまったと言われています。しかし、これはあくまでも公式見解であり、教科書や解説書などに出てくるデカルトの死についての説明です。


●デカルトは暗殺されたという新説


 ただし、ここ数十年、何人かの研究者、あるいはジャーナリストたちが、実はデカルトは暗殺されたのではないかと唱え始めています。その代表的な本が、今ここにお持ちしていますが、日本語でも読める『デカルト暗殺』です。これは、山内志朗先生が翻訳された、アイケ・ピースという人の本ですが、この本の中にそのあたりの事情が書かれています。

 暗殺されるというのはなかなか大変なことです。普通、何もしなければ暗殺されないわけですから、どういう事情があって暗殺されたのかというのは、専門家だけではなく、一般の方にも関心をもっていただける話ではないでしょうか。

 暗殺されるには当然、理由があります。その理由を探るため、当時の社会的な状況に探りを入れたいと思います。ポイントは1648年です。


●暗殺当時の時代背景としての「三十年戦争」


 ここでもう一回おさらいします。彼は1650年に死にます。前年の1649年にスウェーデンに来ないかという招聘を女王から受けます。そのさらに一年前の1648年が、非常に重要な年になります。なぜならば、この年、1618年から三十年間続いた戦争が終わるからです。

 歴史の教科書などでは、1618年に始まり1648年に終わったので三十年間続いた「三十年戦争」と言われていますが、この三十年戦争と一体何だったのか。これは、ドイツを舞台に繰り広げられた宗教戦争です。宗教戦争とは、宗教が原因となって生じた戦争で、とりわけこの三十年戦争はキリスト教が原因となってドイツで起きた戦争です。

 どうしてキリスト教が原因となって宗教戦争が起きたのか。そのことを理解するためには、それより少し時間を巻き戻して、16世紀にまでさかのぼる必要があります。16世紀の初頭、ドイツを中心に宗教改革が始まるのですが、それがこの宗教戦争の一つの原因になります。

 宗教改革というのだから、何かいけないことを改めようという人たちが出てきたということです。一体どういう人たちが出てきたかというと、私たちが今「プロテスタント」と呼ぶ人たちです。彼らが「カトリック」と呼ばれている人たちに対して、異議申し...
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