●1650年2月11日、デカルト死す
皆さん、こんにちは。筑波大学でフランス哲学の研究と教育に従事しています、津崎良典と申します。今日はデカルトについて、いくつかお話ししたいと思います。
デカルトは17世紀のフランスの哲学者です。彼は1650年2月11日、スウェーデンの首都ストックホルムで死にました。
どうしてフランスとは別のところで死んだかというと、その前年の1649年に、スウェーデンの女王であったクリスティナという人にスウェーデンに来てほしいという要請を受けたからです。そのため、ストックホルムに行くわけですが、彼は最初行くのを渋っていました。招聘を受けたのは1649年4月で、その頃、彼はオランダに住んでいましたが、オランダよりさらに北に行かなければいけません。そのため、ずっと渋っていたのですが、夏が過ぎ、9月になって行くことを決心します。
当時、飛行機も鉄道もありませんから、オランダからスウェーデンに行こうとすると、馬車あるいは船で行かざるを得ません。そこで、三週間ぐらいかけて船でストックホルムに向かいます。そうして、10月にストックホルムに入りました。
10月のストックホルムはすでに寒いのですが、女王に招待を受けたので、頼まれた仕事をいろいろと始めようとします。しかし、最初のうちは、頼まれた仕事をすることはほとんどありませんでした。翌1650年1月になってから、いよいよ宮殿で女王への講義を開始します。ただ、女王にはいろいろな仕事がありますから、デカルト一人にかかずらっているわけにいきません。そこで、彼女の都合のいい時間帯に講義をやってほしいということで決まったのが朝の五時でした。
朝の五時に授業をやって欲しいというのはなかなかきついことだと思います。デカルト自身、生まれた時から非常に体が弱かったと言われており、デカルトの伝記を読むと、最初に出てくる話として、午前中はよく寝ていたという逸話も残っていたりします。
また、1月ですからストックホルムは極寒です。当時、暖房がしっかりしているわけではなく、ガスなどもないですから、焚き火でストーブを焚くわけです。
そのように、非常に寒い中、朝五時から週二回講義を行ったので、結局彼は風邪を引いて、肺炎を発症してしまいます。それと同時に、彼は自己診断を間違えてしまい、1月に講...
(ルイ=ミシェル・デュメニル画)