●三つの戦争が同時進行する中東で日本人が拘束された
8月下旬、日本人の湯川遥菜さんという人が、「イスラム国」と呼ばれるイスラムのゲリラないしテロリズムの組織に拘束される事件が起きました。そこで今日は、現代中東の複雑さと混沌について触れてみたいと思います。
現代の中東の政治構図の複雑かつ混沌を極めた様子は、世界史の中でも類を見ないほどです。一番顕著な特徴は、この中東において、性格の異なる三つの戦争が同時に進行していることではないかと、私は思います。
まず、第三次ガザ戦争は、パレスチナ人の自決権とイスラエルの安全保障をめぐる対立が高じた衝突です。シリアの内戦は、もともと「アラブの春」に基づく反アサド政権の運動が発展したものです。しかもシリアにおいては、スンナ派中心の反対運動の内部において、内戦が生じています。その中で一番極端な「イラクとシリアのイスラム国家」(ISILあるいはISIS)と呼ばれる組織は、イラクの領土とまたがる作戦を展開しています。言い換えますと、内戦の中にまた内戦が入れ子のようになっている、ある意味で二重戦争の複雑さを呈しているのです。こうした二重戦争の複雑さの中で、反アサドのイスラム戦線とイスラム国という、もともとは仲間であった組織が戦い合う。その渦中で、今回の日本人湯川遥菜氏の拘束事件が起きたのです。
●政教一致の伝統継承を誇示する「イスラム国」の名
一方、イラクに目を転じますと、シーア派のマリキ氏からアバディ氏へ首相が交代することになりました。この首相承継の混乱に乗じて、ISILという組織は、シリアとイラクを横断する形でイスラム法に基づく国家を樹立し、シーア派政権との正面からの戦争に入りました。それは、現在の中東をはじめ国際秩序の原理を否定し、第一次世界大戦の戦後処理に由来する中東の国境を大胆に否定するものです。
さらに、ISILは組織の名前から「シリア」と「イラク」という名前を消して、単に「イスラム国(IS)」〝ad-Dawlah al-'Islāmiyyah〟というアラビア語を英訳すれば〝Islamic State〟というだけの名称を付けることにしています。
このイスラム国あるいはイスラム国家という名称は、イスラム史を7世紀までさかのぼって考えると、まことに興味深いものです。もともと7世紀にムハンマドが神の啓示を受け、間もなくメッカとメディナを中心にして政教一致の教団国家をつくり上げた時のイスラム共同体は、まさに宗教と政治を一体化し、民族や国民や国家という区分を認めないものとして成立したからです。
今回のイスラム国(IS)への名称変更は、そうしたイスラムの古典的な伝統を、自分たちこそが継承していることを誇示したかったからであろうかと思われます。
●イスラム国が鮮明にした「文明〝内〟の衝突」の構図
実際に、現在のイスラム国(IS)の最高指導者バグダーディーという人物は、自分を「カリフ」と名乗っています。カリフという言葉の語源は、代理人という意味です。預言者ムハンマドの死後、教団国家を誰が運営するのかでもめた時に、神の預言者すなわちムハンマドの代理人という制度が置かれたことに由来します。
イスラム国の論理に従えば、国民国家の主権回復にこだわるパレスチナや、あるいは自らと対立するイラン・イスラム共和国のナショナリズムも、いずれも既存の国境にとらわれている。その限りにおいて、すこぶる問題は多いとイスラム国は考えているのでしょう。
アメリカのハーバード大学の政治学の教授であったサミュエル・ハンチントンがかつて唱えた「文明の衝突」という言葉がありました。今、イスラム国がシリアとイラクにまたがる形で成立したことによって鮮明になった構図を、彼の表現をもじって表してみましょう。中東というイスラム世界の中心において頻発する暴力やテロや内戦、ひいては戦争は、ハンチントンのいう「文明〝間〟の衝突」というよりは、「文明〝内〟の衝突」の原因と結果になっている。それが今日の中東における争いの特徴、性格です。
●神や預言者の言行で自己正当化を続ける限り戦いは終わらない
しかも、現在の衝突は多元的な要素が非常に入り組んで、複雑に絡んでいます。今後の中東情勢は、ますます複雑さとカオス(混沌)を深めると思われます。問題は、唯一神アッラーの啓示やムハンマドの言葉を、いろいろな人々が自らの政治的な立場を正当化する根拠として利用する傾向にあります。神の言葉や、ムハンマドの述べた言葉や行いによって自分の政治的な立場を正当化しようとする限り、争いは限りなく続いていくからです。
例えば、ムハンマドが何を述べたか、どのような行いをしたかを伝えるイスラムの伝承集成を「ハディース」と言います。その中に、ムハンマド...